2013/05/08

良寛「戒語」








掃除中に出てきた。口の早き人から謙遜なんだか傲慢なんだか分からぬ便りあり、 
嫌な気分になりつつあった今日。…に読むべき・読みたかった言葉だ。嫌な人と  
会ったら反面教師と思おう。あ、原文は良寛さんの言葉らしい。書き写したのは私。
いつ書いたのか、全然おぼえていませんが、数年前の私。書道は習ったことがない 
のですが、時々無性に文字が書きたくなるのです。つづきは、こんなふう:    









アレコレ、そうそう!ほんとうに!とか、ああ、これは耳が痛い。という     
ことば、かり。私が書き写したのはここまで。 → 全文は、こちらで読めます  

*と、書きましたが、どうやらこれは私が気になったところを部分的に   
書きだした、あるいはお手本にした原文が端折ったものだったようです。
                           5/14追記




*5/14追記*




中身も少なくなってきてたんだけれど、注ぎ足し注ぎ足しして使っていたら容器もだいぶ
年季が入ってきたので新しい墨汁を手に入れる。フタの黄色が眩しい。筆も、手に入れた
大椿」を初めて使う。半紙をタテに半分に切って、全文を書き写していく。途中で止めよう
か、と思うほどに、へこたれそうになるくらい長い。こういう物言い、ああいう物言いは
いけないよ、と戒める言葉が続くと、人生の中で自分がやってしまった失態や、された事
色々思い出す。半分に切った細長い半紙を10枚つかったあたりで、やっと終盤。    




なんだか哲学的な〆だった。愛想がないのは、むっつり黙っていることのように  
思いがちだけれど、言葉が過ぎるのは愛想なしである、と。〆の言葉だけで語れない
内容だけれど。そして、果たして終わるんだろうか?と思える長い文章を書き写して
いて気づいたのは、書は切り絵とちょっと似ている。やり直しがきかないことや、 
緊張して作ってると格好よくしようとしてるのが文字(表現されたもの)で、すぐに
伝わってしまう・バレる。あるていど、ほわっと力が抜けて、慣れてきたころに、 
自分も「あ、いいな」と思えるもの(切り絵や、隅で書いた文字)が出てくる。  
そして集中力。音楽については、違うかも。文字は、言葉だからBGMとして    
歌詞が入ったものは、聴きたくならない。無音でもいいくらい。西洋の      
古典音楽・ピアノ曲を聞きながら、東洋の詩人の言葉を書く夜でした。      







空からきた魚 (集英社文庫 ひ 27-2) 

書で思い出しましたが、アーサー・ビナードさんの「空からきた魚」 
(集英社文庫)の題字は、唯一、私が手書き文字で題字を担当した本です。
後書きに私の名前を発見して、きゃっ(♡)となった想い出が。   




0 件のコメント:

LinkWithin

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...