2016/09/02

海が見たくて横浜へ・「人魚」の話






数日前に海をみたかったのに見られなかったので、横浜まで来てしまいました。






海を見たいのだ!というのが主な目的だったので(早々に満足してしまって)
中華街でお昼ごはんを食べるというのを頭にいれておらず、食べて来てしまい
かき氷のようなふわふわのものを頂いて、外国旅行気分で散歩してから…  



電車に乗って、移動。みなとみらい線の駅は大阪の地下鉄の駅*を
現代風にしたみたいで格好良い。アーチだいすき。       

*もう見られない景色になってしまったようですが→ コチラ



次の目的地はこちら。横浜美術館。日差しが眩しくて、
どんなフレーミングになっているのかも分からないまま
パシャリと撮りましたが、少年が跳ねて浮いてました。



カサットの作品展ジャポニスムの影響をうけた浮世絵みたいな
作品シリーズ(ドライポイント)など、興味深い。いくつか、 
画家の言葉が展示室の壁に書かれていました。たとえば…   

画家が歩む道は二つあります。
一つは広くて平坦な道。   
もう一つは狭くて険しい道。 

私の解釈では自分の画風さがしみたいなのが、平坦な道(白い 
カンバスを前に、"何でもしていいよ。はい、あなた何かくの?"
という「自由」の心もとなさ)じゃないかしらと感じました。 

私は割と、ラッキーなことに初期から「自分のスタイル」に  
近い形をみつけられたけど、絵はただ「上手く描ける」だけでは
ダメで、その人らしい方法や世界観、作品世界に出会うのに苦労
する人のほうが多いのではないかと思います。        

出口近くには、

アーティストである喜びと比べられるものが、
いったいあるというのかしら?

…というカサットのことば。この境地には至ってないなぁ、と
同じ女性の絵描き先輩の言葉として(笑)メモする。    







ところで、この日は宇多田ヒカルさん御本人出演バージョンの「花束を

君に」のミュージック・ビデオが公開されました。私の絵が登場する 
ものも「切り絵バージョン」として、引き続き観られるようで、ほっ。

久しぶりに拝見する動くヒッキー。最初にビデオのお仕事の話を頂いた

時、「とと姉ちゃん」オープニングように実写絵が交互に出てくる
ものになるのだろうか(だってファンとしては動く・歌うヒッキー、 
見たいでしょう!)、と想像していたので、ご本人映像との"共演"は 
かなわなかったけれど、嬉しいかぎり。→ こちらで御覧いただけます



Fantôme

それから、そのミュージック・ビデオの公開に伴ってインタビューが 
公開され、その中で気になっていたことの答えと、嬉しい驚きが   
ありました。(じつはスタッフのKJさんから前もってお知らせ頂いて 
いたのですが)。新しいアルバム「Fantôme」の曲名が発表された時、
その中に「人魚」という題名の曲があることに、はっとしました。  





先述の「花束を君に」のミュージック・ビデオ(約・15秒と90秒、
2パターンあるのですが、長い方)で、赤い服を来た女性は、街を
出、海に向かい、人魚に姿を変えるのです。もしかして「人魚」と
いう曲名は??いやあ、まさかね、と、思っていたのですけれど、
そのインタビューのなかで、あのミュージック・ビデオの絵コンテ
(by 小川純子さん)を見て、演出家さんが宇多田さんを慰めてくれて
いるような、見透かされ、暖かく支えられるような感覚を覚えて、
何より「花束を君に」を受け入れてもらえたと思えて涙が止まらず
そこから人魚のモチーフを引き継いで出来た曲、そして御母様の 
藤圭子さんが亡くなった後に音楽を作れないかもしれないと思って
いた頃に、ふと出来た曲だったけれど作詞にすごく苦労していたが
ぶわっと言葉が溢れてきた、というような話を読んで、とても光栄
に思いました。*話は要約、こちらをどうぞ→ Trend Newsの記事 
ミュージシャンが魂を込めて作った作品(花束を君に)を、我々 
ミュージック・ビデオを作った面々(映像作家の小川純子さん、 
絵を製作した私、アニメーターの小中志展さんなど)が受け止め、
こちらも良い作品をつくろうとして、それを御覧になったミュージ
シャンがさらにインスピレーションを得て「人魚」という曲に  
なった。まだ楽曲は聴いていないけれど、とても光栄なこと。  
ちなみに、人魚のは私が学生時代によく、とりつかれたように  
(水彩で)描いていたモチーフなので、小川純子さんの絵コンテで
人魚がでてきたときに「!!」でした。           






ああ〜海が見たい!とおもったのは夏の終わりだから
かもしれないけれど、その記事を読んでから海を見る
と、なんだか感慨ぶかかった。後日、ふと考えたのは
英詩を勉強しているときに、体内を流れる血や恵みの
雨、など水は「生」の象徴のように描かれることが 
多いなあ、と感じたのだけれど、あの赤い服の女性が
海に入る、というのは人間ならば入水(じゅすい)=
死、のようでいて、異形の彼女は「生」の中に還って
いく?ってことだろうか、とも思いました。そいえば
胎内(生きているけど息をしはじめる前の状態)も、
水の中だし…などと、結論もなくあれこれ思い巡らし
ていた。ところで、話を横浜に戻すと、海の見える 
公演には赤い服、ならぬ赤い靴の少女の像があり(私
は見にゆきませんでしたが)、はっ!と足元を見ると
赤(赤紫)の靴を履いてて、慌てました。笑。「赤い
靴〜はいてた〜女の子〜♫異人さんに〜連れられて〜
い〜ちゃ〜った〜♪」関連のお土産が沢山あるとこに、
赤い靴で来てしまった凡ミスでした。 :)      









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