2013/03/15

二つの言葉







展覧会は印刷物に載ったものでない・実物の絵を見て頂ける貴重な機会。いわば原画が 
主役ですが、次回個展では脇役として、かなり初期に作った懐かしい葉書もちょろっと 
出します。かなり初期の絵なので、髪の毛部分や赤いチャイナドレスの人は手の部分も 
加筆しています。展示活動を始めてから二つ、重要な転機となった言葉を、来場頂いた 
方に投げかけて頂いたのですが、その一つが、髪など塗らず目や口だけ加筆した作品の 
ほうがビックリする、というような言葉でした。それが2001年のこと。もう一つの言葉 
はラッキーな事に1998年の初個展のとき。当時は切り抜いた人物像の方だけを展示して 
いたのですが、いらした方に「これは塗ってるの?どうやって作ってるの?」訊かれ 
実際に目の前で切ってみせると「わあ!これは切った人物像と、切り抜いた紙を  
並べたほうが分かりやすいし、驚くよ!」と言われたのでした。そこにある色を活かし 
作品をつくることは自分のスタイルだ、と漠然と気づいてはいましたが、切り抜いた  
人物像のフォルムを見てもらえたら十分と考えていた私は、その言葉を聞いて驚き、  
「あ!そうなんだ!そこが自分の絵の特徴なんだ」と知ったのです見てくださる人・ 
自分以外の他者の言葉がなければ、私の作品(の見せ方)もっていたな。     
…と、初期に作った絵葉書を眺め、偶然同じ日にツイッターで見た:        




>自分のことは自分がいちばんよく知っているというのは誤り。(西村伊作


          *ちなみに西村伊作は、初個展会場でもある母校の創立者です


…に、大きく頷きました。私の作品の分岐点になった
二つの言葉をくださった方々が、
どちらも教師や美術評論家でなく、ふらりと寄って下さった風の来場者だったこと、 
後者においては母校の掃除のおばちゃんがだったというのも、めぐり合わせに感謝と 
いうか。彼ら自身も、自分が発した言葉が重要な言葉だったとは思っていないんだろう
なあ。教えようと思って教える事もあれば、教われないこともあり、一方で発言者が 
気負わずに言った一言に、勝手に受け手が「教えられる」こともある、その違いは  
何なのだろう?                                

時が経つのは早いもので今年は、あの初個展の年から15年目。記念すべき年の春の 
個展は、もうすぐです。初の自主企画の出版物*も、デザイナーから印刷・製本を 
手がけてくださる方々の手にバトンが渡りました。どきどきわくわくです。    

           *画集と呼ぶには写真の割合が多いので、長たらしく、こう呼んでます。                





春といえば、先日橙灯に貼ってもらったポスターの並びが「す、spring has come」で
絶妙でした。友人に、(たぶん、なんで「K for KIRIE」なのに)「す」の切り絵なの?
と訊かれたけれど、そ、スプリングの「す」かもね!…と、言葉に出さず、にんまり  
したり。…ところで右のポスターは、昨年展覧会でお世話になった仙台の「小さな街」の
小野さんから送られてきた、青木隼人 x 旅ベーグルのイベントのお知らせです。   

↓      ↓    

            

素敵な音楽と美味しいベーグルのイベント。仙台の方、是非!       
       






「"す"プリング」は、すぐそこです。










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