2016/04/16

"浅草ライヲン百貨店"で「暮しの手帖」2、5、6号/思い出の千代紙





今日はお買い物デーでした。まずは、浅草ライヲン
百貨店という催しで、初期の先「暮しの手帖」を。
それから、二号の上に乗っている小さなマスコット
は、香港のものだそうです。なんでティンカー・ 
ベルを選んだかというと…           



一昨年、初めてフランス(ワヌアン、ふつう観光では
いかないようなエリア?ランスリールの近く)に 
いったとき、お世話になった画廊主のお宅に、   
ティンカー・ベルと魔法の杖があったから。    
皆さん、お元気かなあ、なんて思い出して。    



「暮しの手帖」は何でかというと、現在 
放送中の朝ドラが、この雑誌の創刊者・ 
大橋鎮子さんをモデルにした物語だから。
私はそのオープニング映像の絵を制作して
います。先日、貴重な第一号を、放送開始
祝いでプレゼントしてくださった友人が、
催しに出店していたので、他の号は是非、
買わせて頂こう!と勇んでいったのです。




感動的だった第一号の後書きの「つづき」を読むことができました。
「やつとの思いで作り上げた第二號(号)」、「やつと、ここまで  
來ました。初めて、この雑誌を出してから、やつと一年たちました。
雜誌のいのちから言つて、一年は短いものでしょうけれど、私たち 
には、苦しい長い一年でございました」。大丈夫、常ちゃん!   
(いや、大橋鎮子さん!)貴女の雑誌は今も続いてるよ−、     
と(再度)思う。ほろほろとした紙、大事に読もう。       




破れていた裏表紙も、修復しました。大事に残して
くれていた前の持ち主さん、どうもありがとう。 
引き継ぎました。               



「暮しの手帖」の創刊は1948年なのですが、
今日、お買い物にいった浅草のライオン 
ビルは、なんと、1934年に建ったのだ 
そうです。→ ホームページ     







こんな外観。終戦が1945年、「暮しの手帖」の第一号が
刊行されたのは1948年、ライオンビルが建ったのは、 
その14年前の1934年。ベーブ・ルースが来日したり、 
築地本願寺が出来たり(私のすきな伊東忠太建築!)、
そんな時代から建っているビルなのかあ、と、何度か 
訪れたことがある場所なのに、調べて、驚く。戦争で 
壊れなかったってことだもの。近くの隅田川は、東京 
大空襲のときに多くの方が亡くなったというのに。  





浅草から谷中まで、コミュニティ・バス「めぐりん」で
移動してみる。この画廊(スカイ・ザ・バスハウス)の
壁にはいつも、何かしら(大河ドラマのが多いけど) 
NHKドラマのポスターが掲げられているので、もしか 
したら…と思ってはいたけれど、そこに、私も関わる 
朝ドラ「とと姉ちゃん」のポスターが!写真のキャスト
勢ぞろい版の横には主人公のみのもの、二枚貼り!  
ヤラセのように(笑)それを指差して眺める人たちの 
姿を撮ることができました。皆様、ありがとうござい 
ます。オープニング映像の絵を、制作しましたよ。  





後日(5/4)、歩いてこの前を通ったので、
2枚並んでる様子を写真におさめました。 



コミュニティ・バスを谷中で下車して、千代紙屋
「いせ辰」で仙台駄菓子の一枚を手に入れました。
機械印刷ではなくて版木を使って一枚一枚  
刷っている木版画、と呼びたいようなもの。 
じつはこれ、一昨年、初めて欧州旅をした時に
お世話になった現地の方々に日本土産の1つと
してお持ちしたもの。可愛らしい浮世絵、とも
言えるかなあ、とおもって。いつか自分用に 
も、と思っていたのを手に入れられました。 









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