2017/12/27

神田松之丞さんの講談を聴きに行く







12/27:初めて生で神田松之丞さんの講談を。なんと二列目でした。
凄かった!←(語彙不足)。迫力、怖さ、ぐぅっと、物語の世界に
引き込んでくれたおかげか、心配していた咳は出ず、ほっ。演目は
演目は「怪談乳房榎」と「南部坂雪の別れ」。         





数年後、2019年にNHKラジオの聴き逃しで神田松之丞さんの講談を聴いてたら、
あ、これ、初めて生で観た時の演目と同じ(ちょっと短いバージョン)でした。
あれ?子供の名前、マヨ太郎??って、こんな図を想像してしまいましたが、 
マヨネーズ太郎じゃなくて真与太郎だそうです。→ 出典           









10月に、NHKの対談番組で知った方。作品をメインにした番組ではなかった
のだけど、マイクの使い方について 話している部分があり、気をつけて 
観ていると、くっ、くっ!と首を急に動かしたりする動作の時にも、音が 
かすれないというか、音を通える事に集中されているのがわかる。    



絶滅危惧職、講談師を生きる

ライティングのうまさも手伝ってか、血も涙もない男の役として話をして
いるときは、この年下の・まだ30代の男性が竹内力のように見え(笑)、
二列目という近さもあり、くっ!とコチラを見たような気がする時は、 
びくっ!としてしまいそうに、本気で怖くなるような、凄みを感じる。 
かと思いきや、はんなりとした喋り方の奥方(夫を亡くし、尼僧になった
奥方)が、書面に書かれた、夫の仇を取ってくれる赤穂浪士の名前を涙を
こらえながら、つらつらと読み上げる(と言いつつもちろん、講談師が 
小道具として手に持っている扇子には何も書かれててない)シーンなども
一種の見せ場というか、うわ!すごい!とノックアウトされる感じ。伝統
芸能では、落語も一人で演じるもの(文字通りの「劇団ひとり」?)なの
だけど、講談というのはまた別の迫力があるんだなあ、なんでだろう、 
どんなところが違うんだろう?と暫く考えてみようと思う。      



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劇場の最寄駅にて




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