2015/11/07

フランス展のポスターを、(ついに)額に入れる






昨年の10月のフランスでの展覧会「PAPIER-紙」のポスターを、額装しました。
んー、やはりピシっとするなあ、お願いしてよかった!と満足。約1年の間、額に
いれずに飾っていたのですが、先日の個展のとき、家では手に余る、大きな作品を
スキャニングさせて頂いた友人のデザインオフィスで、亀倉雄策の手による、東京
オリンピックのポスター(少し細長い変形)を、特注の額に入れて飾ってあるのが
とても「決まっていて」、すてきだなあ、と思ったのでした。見習って。そして、
この展覧会は実は個展ではなくて日仏蘭(蘭だけ2人で、合計4人)の合同展だった
ので、全員の名前が入ったポスターもあり、その保管場所はこの額の中。:)   



初個展の頃からお世話になっているお店に頼みたくて、久しぶりにお願いしました。
白いユリが飾ってあって、そうか、サモトラケのニケも、あったんだね。改めて、 
観察していた。十数年、ずっとここにあってくれるお店。ありがたいです。    




この包装紙もすき。誰の絵なんだろう。こんど、伺ってみよう。店内に
掲げられた「きんらんどんすの帯」うんぬんという一節は、どどいつの
一節か何かかな、と思っていたら童謡「花嫁人形」の歌詞のようでした。





特注の額ができましたよ、と連絡が来たのが昨夕。今朝は、先日出かけた
橙灯)で手に入れた、ひろせべにさんの作品が届きました。写真の 
右下の作品。ウサギの腕の中に抱えられた少女は、だらりとしている。 
作家本人に、これはしんでいるの?ねむっているの?と訊ねると、   
「どっちだとおもう?」と作者。窓辺に置いてみると、宗教美術に囲まれ
ピエタのように見える。いや、でも巨大ウサギに救われた少女、という
風に見てみよう。冬に向かう季節は、オスタカや終戦の記憶の夏と同じ
くらいに、メメント・モリ(死を想え)の季節だったりする。生きてる
ことは、当たり前じゃない。お前はちゃんと、生きているのか、と。 



でも、秋の落ち葉(しんだ葉っぱ)は色づいて綺麗だったりする。
下を向いて歩いた、額をとりにいく道すがらの光景。
しかし、死は確実に、誰にもくるもので、


昨日、ポストに、おどろくような葉書が入っていた。何度か(私の)個展会場で
お会いしたことがある写真家の神村大介さんが、今年半ばに若くして(40代で)
お亡くなりになったとのこと。私の部屋に前から飾ってあるこの写真は2005年、
とある。10年後、2015年に彼は旅立ってしまった。いい写真をとる人だった。 
のになあ。お父様からの喪中葉書で知ったのも切ない。先立たれた人は、多分、
他界した本人よりも辛いんじゃないかしら。ちなみに、神村さんの写真の隣に 
(たまたま)ガラスの十字架をかざっていた。これは、ヒサマツエツコさんの作。
辻、という私の苗字には十字が入っているので、なんとなく惹かれるカタチ。 



そんなこんなで、べにさんの作品を撮って、神村さんの作品を撮ってから、
額を受け取りに出かけた道すがら、なんとなく「散り際の」花や葉に目が
向いたのだけれど、神村さんの撮った猫だって、猫の10年と人間の10年は
ちがうんだから(といって私も詳しくない:こちらをどうぞ)、被写体の
猫だって・・・なんて、そんなことばかり考えていたら、       

\ ? /         

生きている猫の、すっとんきょうな顔で和まされました。
そいういの、二回目。おもしろい顔をありがとうよ、猫。
ひなたぼっこ、きもちいい季節だね、夏は太陽め〜、って
避けるくらいだったのにね。             










0 件のコメント:

コメントを投稿