2017/06/11

高円寺散歩、「石、転がっといたらええやん。」








6/11はふらりと高円寺へ。駅前の書店で、バンド「くるり」の岸田繁さんの本を見つけて衝動買い。アムレテロンテロン坂本千明さんの紙版画、教えてもらった店を探し、鳥獣戯画をベースにした絵本も手に入れました。

追記:岸田繁さんの本で、むかぁし新幹線の名古屋駅にあった変わった形のトイレが「トルコ式」ということを知りました。それから93番目のエッセイの一節:アーティストたるもの、誤解を恐れずに言うと、人の言うことなんて聞いちゃいけないし、アーティティックじゃないものに毒される環境にいちゃ駄目だ。そんなわがままが許されるのは、他人の人生を左右するくらいの「芸術」を生み出すからでしかないんだ。だからお金と敬意を払ってくれる人がいるんだ。…に、大きく頷く。

この文を読んでやはり芸術家はワガママね、と言う人が多いかもしれない、でも、自分の感性を毒すものを排除するような 潔癖さあってこそ「その人の作品世界」が出来上がることもあり、貫き通すには強さと、その、「ノー」と言ったことに対する責任と作品の説得力があるかどうかが伴う。

私が敬愛するアーティストの一人・フィリップ・ドゥクフレなど、まさにそう。彼は一つの舞台を作り上げる際に有名な衣装デザイナーを公演直前と言ってもいい頃にクビにした事があると、本人の講義で聞いてものすごく驚いた事がある。僕は服じゃなくてダンス・ダンサーを見せたいんだ、僕の作品にあなたの服はいらないと決めることは、顔色を見て和を 大事にする事が大事な日本では、なかなかない事。

もう(その衣装デザイナーの名前の入った)チラシも刷ってしまったし、広報もしちゃったからそのままで行こう、行くしかないでしょとはならず、「切った」。でもドゥクフレだからしょうがないかあ、となるくらいの存在感。そして自分の作品に対する責任感、もしも中途半端に妥協したものを観客が見て、「ドゥクフレ作品なのになあ」と思われないようにきちんと、嫌われようが波風立てようが自分の描きたい世界観を貫く感じ、怖くもあり、厳しくもあり、結果が圧倒的世界なのだから説得力もあり、これが本当のアーティストだ、と二十代の頃に感じた事と重なりました。 



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