2017/12/30

2017年を振り返って:よいお年を!



今年を振り返って:

 2017年は、作家活動を始めてから初めて、個展をしない年でした。前年の2016年が、ありがたいことにNHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」のオープニング映像や、あの・宇多田ヒカルさんのミュージック・ビデオ「花束を君に」に貼り絵が登場したことで、取材や原画展、作品集づくりなどなど、今までにない目まぐるしさだったので、つとめて"充電"するような、自分のペースを取り戻すための年だったように思います。


 それでも、(ありがたいことに)まだ朝ドラ関連の"余波"が続いて、朝ドラと同じ手法・貼り絵で製作した・昨年単行本化された絵本「かげはどこ」が重版決定したり。私家版ではない・出版社から刊行された作品集「貼リ切ル」が1月に刊行。この「貼リ切ル」とい題名と表紙の絵は、昨年の奈良での個展の時のものなので、ドラマやビデオの仕事しかり、"前に手がけたもの"が、引き続き自分を引っ張っていくような、作者の手から離れた作品の頼もしさのようなものを感じたりしていました。





 

 作品集「貼リ切ル」の出版記念展として、3月2日〜4月3日は佐渡島の南書店、4月10日〜5月6日は新潟市の北書店、5月24日~6月11日は金沢のオヨヨ書林せせらぎ通り店とコラボン、7月1日~7月8日は名古屋市、7月15日~30日は一宮市のエコ建築考房のモデルハウス、10月28日〜11月26日は久留米の未来工房で、と各地で、その出版記念展を開催できました。版記念原画展は遠方での開催が多かったので現地の方にお任せしきりだったのですが、たまたま法事と重なって西の方に行けたので、5月末の金沢展だけ伺うことができました。

 法事、というのは、伯父のお葬式でした。初個展の時から応援してくれていた人。群馬出張があった2月頃から体調を崩していて、電話が鳴るのが怖かった3ヶ月・別れの心づもりを待ってくれていたような3ヶ月。死の直前、その仕事は結局お蔵入りになってしまったのですが、5月に長野出張したときは、いつか買わねばいけない、でも、買ったら他界してしまうのではないか、と思っていた黒い洋服を、大好きな洋服作家さんのアトリエで(たまたま黒をテーマにした展示をしていて)手に入れました。伯父さんが、「お、恵子、ええの買ったなァ、じゃあそろそろ、行こうかな」とでも言わんばかりに、長野から帰京後、間を空けずに逝ってしまいました。

 また、10月には、私によく似ていたという叔母の50回忌をすることができました。20代で他界した彼女には会ったことはないながらも、眉が濃いところや黒目がちなところなど、私達はよく似ているようで、「生まれ変わり」などというものがあるのだとしたら、もしかしたら「私」になる前の「私」が彼女なのかも、とすら思うほどに身近な存在。私自身が命の危機を感じた時も乗り越えられたのはきっと、彼女が救ってくれたのかも?生きられなかった彼女の代わりに生きている気分もしてたけど、そろそろ本当の意味での「自分」の人生を生きてもいいのかも、というような感じもあり、ともあれ生死について、親族について考える年でもありました。


 
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「年下のおば」です。ほら、似てるでしょ。    佐渡にて、南さんの前で制作の図。 


 と、暗い話になってしまいましたが、もう一つの出張?旅としては二度目のハロー!ブックスの参加で佐渡にも行けました。一連のイベントごとを終えてから、さあ、遊ぶぞ!(タコ捕り)、休むぞ!と思っていたら、40度近い高熱を出してしまうというハプニングはありましたが、ずっと前・2004年に私の切り絵作品について背中を押してくださるような美術評を書いてくださって、いつかお会いしたいなあと思っていた南伸坊さんともお会いできて、嬉しかったなあ。佐渡で展示した作品は実は今、すでに別の場所に保管されていて、来年に佐渡のあれこれと一緒に展示予定です。またおしらせしますね。

 年間通して続き物の刊行物の表紙の仕事としては、今年の頭までは雑貨店Angers(アンジェ)の季刊のフリーペーパー「&」、そのあとは伊勢丹新宿店のワインカタログ「LIQUOR SELECTION」 を手がけました。しばらく、(貼り絵で手がけた→)「朝ドラで知りました」という方からの依頼が多かった中で、このお仕事にお声がけくださった方も、きっと「とと姉ちゃん」をご覧になってお声がけくださったのかな?と想像していたら、某・作家さんから私のことを聞いてくださったと知り、ありがたかったです。

 また、似たような嬉しいビックリとしては、年末に手がけた仕事(出るのは1月です)の見本誌をパラパラとめくっていたら、初個展が1998年11月ですので:まだ作家活動を始めたばかりと言っても良い頃・2001年の個展の時に、まだ自分がどういう作家であるのかもしっかり自覚をしていない頃に、背中を押してくださるような言葉をかけてくれた映画評論家の女性が、その雑誌に連載を持っていることがわかって、編集者経由で連絡を取れたこと。遅ればせながらお礼を伝えられました。

 


 いつになく、文字の仕事が多い年でもありました。エコ建築考房しぶかわカントリークラブのロゴマーク、文庫本「その他の外国語エトセトラ」、東洋文化研究所のクリアファイル、東京駅のトレニアートの絵葉書

 冒頭に書いたように、昨年2016年は朝ドラの影響で、今まで個展でも少ししか展示してこなかった貼り絵(パーツごとに切って、貼り合わせて作る絵)が一気に人の目に触れることになって、切り絵(印刷物などに、もともとある色を活用して切り出す、自分で言うのもなんですが:独自の作品)を知らない方が多くなって、「切り絵作家」と名乗ってきたけど「貼り絵作家」とも言うべきなのか?などとアイデンティティについて再考する時間がありましたが、今年2017年は、いつの間にか、そのワサワサが落ち着いて、何をやっても私だ、と言えるようになってきたように思います。毎年のように掲載している、イラストレーター年鑑にも、来年は貼り絵の仕事だけを選出して見たりして。

 私が初めて個展をしたのは1998年11月。来年は、画業・20周年の年です。が、お祭りわっしょい!みたいに派手なことはいたしません。初心にかえって、しっかりと一歩一歩、自分の呼吸を保って作品作りをしてきたいなあ、と考えているところです。秋に個展も予定しています。






 2月には、初めて叔父との二人展があります。叔父は今回は絵付けの時のアーティスト・ネーム「羅介(らかい)」としての二人展ですが、黒い画面に穴を開けて一面の瓦屋根を描くような切り絵作家・山本高史としての面もある人。師弟関係はありませんが、彼の存在があったので、絵を描いたり、彫刻をしたり、という要素の一つとして、頭のどこかで「切って何かを作ることができる」と知っていたのだ=私のスタイルに至ったのだと感謝している人の一人です。お近くの方は、いや、遠くからも是非お越しくださいね。

 よいお年を!



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