2018/12/18

ティーハウスの思い出、最後の訳書のサイン本





12/18:よーし、お仕事をするぞ!と喫茶店へ。神保町のティーハウスタカノへ。
結局、仕事を進めるのに必須のものを忘れてきてしてしまっていて(後で取りに
戻って)、純粋な休憩時間になってしまった。この場所は私が初個展をする前に
絵を依頼してくれたオランダと日本のカップルが、出来上がった絵の箱を開け、
わあ〜!とキラキラ輝くような笑顔を見せてくれた場所。まだ何をする人になる
のかハッキリしない時期に、"ああ、自分の絵でこんなに喜んでくれる人がいるん
だ!"という画家としての原体験をした場所なので、うん、うん、そうだった、 
あれから20年経ったってことか、と思い出していました。彼らの存在があった 
から数年前にオランダに行くぞ!とも思えた。親しい友人などには話していたの
だけど、その強烈な(嬉しかった)思い出があったので、その喜んでくれていた
人のうちの一人が若くして亡くなったあと、悲しくて立ち寄れない場所でもあり
ました。そんな風に引きずって避け続けるのもどうかな、と、何年も経った後に
ふと、ちゃんと座って(茶葉を買う、くらいはあったのですが)お茶を飲んで 
みようかな、と思い立ち実行に移した日に、「あの思い出の場所の、同じ席で 
やっとお茶を飲めたよ」と遺された方にお伝えすると、それが、本当に不思議な
ことに、その人の命日だったことも、私が体験した不思議な経験の一つ。きっと
「思い出してね」とか、「もう、いいから、ここでお茶飲んでみて」とか、もう
この世のものではない存在が時を超え、国を超えてやってきてくれたのかも、
と温かい気持ちになったっけ。(ちなみにこの日は、その席は空いておらず、
別の席でフルフルと儚げに揺れるババロア頂いていました)。       





ティー・ハウス・タカノに入る前に、すぐ隣の、東方書店という中国関連の
書籍を扱うお店を入り口越しに覗く。ツイッターで、先月お亡くなりに  
なった友人・天野健太郎さんが最後に訳した本の著者・呉明益さんサイン本
があると知っていたの、この本は何となく、電子書籍で買おうかと思ってた
のだけど、あっ!まだある!ラスいちかな?なんて衝動買い。呉明益 2018
東京、の文字が切ない。実はこの日、次の読書をどれにしよう、これかな?
と、天野さん訳で、天野さんが翻訳家になる前に企画リストで拝見していた
「台湾少女洋裁に出会う」をカバンに忍ばせていたんだけど、うーん、次に 
どれを読もう?と、未だ決められずにいる。(これを書いているのは12/26、
前の「積ん読を減らすぞ週間」で読了したのは大貫妙子さんの御本)。  





大貫妙子さん & 天野さんといえば、昨日(これを書いてる前の日、
12/25)仕事の資料を探すべく、ガサゴソやっていたら、ヒョイっと
こんなのが出てきた。私が死にかけた時にお見舞いで頂いたCD、 
そうか、大貫妙子さんの「UTAU」もあったのか、と。それと、  
メールだ、メッセンジャーだ、ラインだと活字でのやり取りが多い
昨今だけれども、手書き文字の存在感ってあるなあ、とも。   









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