2006/04/01

母校・文化学院の学校案内に寄稿








2007年度の文化学院の学校案内に、卒業生として
文章を書きました。2006年4月発行     







同じ見開きには小説家の中島たい子さんや、トライセラトップスの和田唱さんも。
私のポートレイトは、たしか京都のイノダコーヒの庭で撮ってもらったものです。
ミニ展覧会をさせていただいた雑貨店・alphabetオーナー撮影。        

2022追記:写真が出てきました!


レモンパイ美味しそうだなあと眺めたのを思い出します。
「三条に行かなくちゃ、三条境町のイノダっていうコーヒー屋に〜♪」
(高田渡「コーヒーブルース」)も知らない頃でしたね。









私は文化学院で文学を勉強し、今は絵を描いています。文学の中に絵に通じるものを感じ取り、絵描きになりたい人なら絵以外の「そのほか」から学ぶことがいかに必要かと言うことを教えてもらった3年間だった気がします。また、もうひとつは自分を信じることの大切さです。奇しくも文化学院は戦時中にも自由な校風を貫き、一時期閉校を余儀なくされたという珍しい経歴を持っていますが、世情が変わった現代においても、彼らのように風潮や流行に流されない自己を持つ、と言うことは恐らく大切なことです。専門外だから関係ない、人ごとだから知らない、芸術ではないから取るに足らない、ではなく、分け隔てなくいろいろな作品や人と会い、完成を磨く。世間やメディアや人の言うことに頼らず自分の目や耳や手で感じとる。我が強いことは、ときどき恥ずべきことでもありますが、「自力で考えられる」と言うことは間違いなく、誇るべきひとつの能力である、と私は考えます。

2007年の入学案内に寄せた文章、辻恵子・筆





ハッチ(故人・母校の校長先生)、いいこといってる。"ひとはひと、自分は自分…と

ユニークな道を歩めるひと…。なにか自然にひとのためになれる人でありたい。"  

                              *2015年、追記です





 

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