2017/10/31

10月末日・嬉しいニュースと見本誌とどく








10/31:仕事関連の嬉しいニュースと、嬉しい見本誌が届く。
嬉しいニュース:ゴニョゴニョも決まりました、と、散歩の
途中で神社に手を合わせる。写真はそこの黒猫。2009年頃、
某・エージェントに預けていた私達の絵が、海外メディアに
盗用されていた事件のときに、日本のエージェントの暴言に
対して、く、悔しい!「私がもし**だったなら…!」と、
強く思ったことなので、実は "長年の夢叶う" なのです実は。
実際どういうものなのか、まだ理解できてないけど、背中を
押してもらえたような嬉しさ。 そして、まさか載ることは 
ないだろうと思っていた雑誌「アクシス」のことも、この日
嬉しかったこと。英語も併記されているので、どこか私の 
知らない場所で呼んでくれる方もいるのかもなあ、と想像。
昨年の朝ドラ「とと姉ちゃん」の冒頭映像の影響で貼り絵
仕事が多い昨今、次のイラストレーター年鑑に載せる「過去
一年の仕事から数点」も、初めて切り絵が無い(切り絵の仕
事はしたけど数点選んだ中に入れずに)、貼り絵の仕事のみ
を掲載することにしたりと、やや切り絵から離れた寂しさと
なんでもやっていいのだ、という気持ちになっていたとこ、
編集者が、ギャラリーみずのそらで私の絵を知ってくれて、
私の切り絵作品と、久しぶりの文筆を頼んでくださった。 
編集者にも、画廊主・小峰さん(故人)にも感謝だ。   




2017/10/30

経堂にカレンダーを買いに行く






10/28:ぽっかり予定が空いたので、「そうだ経堂いこう」と決める。
毎年使っているカレンダーというのは、早めに入手しておかないと、
何となく落ち着かない(売り切れちゃったらどうしよう…作家もの:
手作り系は特に)。坂本千明さんのカレンダーと、作品集にもさせて
いただいたことがある、ハルカゼ舎の日めくりを買いに行きました。



ハルカゼ舎で、日めくりを手に入れたら「あれっ?今日は
坂本千明さんとお約束?さっきいらしたばかりで(同じ 
通りの奥にある店・画廊の)芝生に居るはず」と店主。 
えー!すごい偶然!と、早々に移動すると、先日ブログ 
でもご紹介した「退屈をあげる」にサイン中の坂本さんが
いらっしゃいました。あー!私も本、持ってきたら   
よかったあ、と地団駄ふむも、またの機会に。可愛らしい
赤ちゃん連れの友人も合流して、しばし茶飲話など。  




今年のハロウィン(10/31)は平日だからか、その前の週末jは
仮装をした子供達(時々大人も)見かけました。任天堂の 
キャラクターのルイージとか、ディズニー風の白雪姫とか。




そうそう、お知らせ!11月末〜12月はじめに、経堂の芝生で
カレンダー展が開催され、私のカレンダーも並びます。詳細
こちらに更新しています。人気のカレンダーあれこれも。 


おかげさまで、前回(佐渡に行く前?9月?)に芝生に  
納品をしたカレンダーが残り一つになって居るとのこと。
後日、追加文をお送りしました。どうぞご利用ください。











2017/10/29

届きたての新しいワンピで作家近景







(玄光社のイラストレーター年鑑)のための作家近景?写真を
撮ってもらいました。服、どうしよ?と思ったら、注文して
忘れてたワンピースが届いたので、それを着て。     









ショージさん、年内にみっつも展覧会があるそうです。
写真のものは、11/3~14福島の三春にあるin-kyoでの、
「木の器」の案内状。(→ 詳細はこちら)。デザインは
(私もお世話になっております!の)渡邉朋子さん。  



大沼さんには何度か撮ってもらっていて、
大体が朝の光の中で、だったのが、この 
日は台風が近づいていて曇り空でした。 
どんどん強くなる雨を窓の外にみつつ、 
撮影後にコーヒーをいただく。十代の  
男の子が焙煎したコーヒー豆なんだそう。
もしかしたら、ここかな?)。飲んで居る時
だけじゃなく、帰り道の電車で口の中で
香るような後味がとても印象的だった。
いい仕事してますね。        



ここ数日、てんやわんや・けんけんがくがくの
メールやり取りをして居た、春からずっと、 
続いて居た案件が「お蔵入り」になった旨の 
メールを、コーヒーをいただきつつ読んで、 
ホッとする。今回のこと、色々と「家庭教師を
してる気分だ」とか感じたけれど、熟考の機会
を頂いた勉強させて頂いたと思うことにしよ。




2017/10/27

造形の楽しみ・餃子






10/27:「造形の楽しみ・餃子…」などと脳内で独り言を言いつつせっせと包む・包む。
後日書いていますが、この頃、仕事のことで呆れたり悶々と考え事をしていましたが、
やだなあと凹んでも、しっかり美味しいものを食べたら大体平常心というかフラットな
状態に戻れる気がします。美味しいものは偉大です。               




もう一つはオニオンスープ。これもまた手間のかかるものだけども、
原材料・ほぼ玉ねぎのみで、あとはじっくり炒めるだけで何でこんな
美味しいのー?と、じんわり楽しめるお味でした。        



            

2017/10/26

家で仕事の日・清宮くん効果で電気グルーヴをポチる







ちゃんと休んでインプットをしたら「描きたい・描きたい」と言うモードに
移行中。わくわく。とりあえず、今日は一日家にいて、ここ数日のあれこれ
を更新。紅茶に入れるミルクを、死後くんの御猪口に入れて、パソコンの 
横に待機させて。あれこれ噛み合わない会話などもするけれど、楽しみな 
お仕事も舞い込む。舞い込む、っていい言葉。くるくる〜っとスカートを 
膨らませて踊り子が現れるようなウキウキ感がありますね。仕事は楽しく 
なくっちゃ、と思うと同時に、こちとら本気でいいもの作りたいんですよ、
真剣なんですよ、と言うのが分かってもらえないのは切なくもあるが。  




撮りためてた写真などが8割くらい整理できた頃に、Google+(地味ぃに、やってます
ココは仕事関連のことだけ、ココは日記的なものもブログ更新した時にリンクをシェア
しています…余談!)で、今夜ドラフト会議で行き先が決まって話題になっていた 
清宮選手の笑顔(いつまでリンクで画像が見られるか不明ですが→関連ツイート)を
みて、「あれ?電気グルーヴの石野卓球さんに似てない?」と思ってしまう。何を 
隠そう(隠してません、前にもブログに書いてたので割愛します→ こちら)、   
「とと姉ちゃん」の冒頭映像の絵を作っている時にヘビロテで「少年ヤング」の PVを
かけてました。音源ではなくPVを。あの、絶妙な80年代のダサさとか、最高です。 
つい先日、iTunesで曲をシャッフルで聞いていた時にこの曲がかかって懐かしかった
なあ!などと、今夜は、まだ音源を持っていなかった「Baby's on Fire」という曲を 
ポチッと購入してしまう。相当何かが足りません たまりません 至りません ♫ *歌詞



カサカサとウルウル




10/25:秋らしくなって来た木々、エゴン・シーレの風景画を思い出す。



雨粒に濡れる花はもう、なんか神々しい。和菓子っぽくもあるな?と、食欲の秋。

2017/10/25

「退屈をあげる」新装版を買って、2回目の狩野派展へ






10/25:坂本千明さんの「退屈をあげる」の新装版の発売日。早速書店にて入手。
どーん、と表紙をこちらに向けた状態で陳列されてて、我が事のように嬉しい。
つい先日、奈良での個展も拝見してきたばかり。              



この本は、2013年に私家版(写真・左)として刊行されて、4版まで出ています。
5版と呼んでいいのか、出版社から刊行されて初日で、新装版も増刷決定とか!



ちなみに、坂本千明さんというと、カレンダーも
ものすごく手が込んでいて(折ったり、封筒も 
組み立てて、などなど)、いつも感嘆してしまう
のですが、私家版には昔の本のように、こういう
スタンプでナンバリングを入れた紙片が貼り付け
られています。職人気質というか、なんというか
惚れ惚れしちゃいます。           




手前が新装版なのですが、私家版と比較してみると、
あ、活字も違う、レイアウトが違う。と新鮮。   
新装版は名久井直子さんのデザイン!いいなー。  





ちなみに、坂本さんのこの絵は描いているのではなく
紙版画です。*写真は以前、個展に伺った時のもの。




退屈をあげる

是非是非、チェックです





本屋に寄って、地下鉄に乗って移動。
工事中?の現場の前を通りかかる。 
穴から光が漏れているのって、いい 
風景だなあ、とパチリ。なんだろう、
夜に見る、窓の光とかもそうかも。 




動物の絵を中心に描く絵描き仲間をお誘いして、
二度目の狩野派展 @ サントリー美術館へ。  
(最初に行った時の日記はこちら)。狩野派は  
画家集団だったらしいと日曜美術館で聞いた後に
見ると、人物像は、線が割とはっきりしていて、
動物(牛とか馬とか)はホワホワっと輪郭が  
ぼやかして描いてるね、これはなんか・・・  
(はっ!)どいかやさんの白黒の絵本の感じに  
通じるものがあるかもしれないっ!と、勝手に 
(しかし、美術館なので静か目に)盛り上がって
ました。観察すると、リスなんかもホワホワに 
(狩野派の方は)描いていて、あ、このホワホワは
「柔らかさ」を出すための表現なのかも!なるほど!
と、絵描き二人でガッテンして、「いや、じゃ、
馬は?牛は?」「あー…」と、面白かったです。


いたずらコヨーテキュウ
 
美術館を出てから、お茶飲み話、とても刺激になった。
自分の考えを言葉にして発するということは、ある程度
伝わるように工夫するので、考えがまとまったり、自分
で自分が言っていることに「私はそこを大事に思って 
いたんだな!」と気づいたりとか。惚れ惚れするような
キュレーターさんの話には背中を押されるようだった。
詳しい内容は、秘密ですけれども。絵描きというのは、
一人で画面に向かうもの。編集者やキュレーターなどの
伴走者がいることもあるけれど、割と孤独な作業。  
だから、こう、絵を描く二人、「話すって楽しいね!」
みたいな感じになってました。笑。         




2017/10/24

音楽を聴きながらの読書、文字を"食べる"と、文字が出る?





10/24:青木隼人さんの音楽を聞きに、自由学園明日館へ。そういえば、
多分初めて明日館に入ったのは青木隼人さんもメンバーの(というか
二人組の一人というか)ラジオゾンデのコンサートだったかも!と、
久しぶりに思い出す。あれ、いつだったかなあ。エリック・サティの
言うところの"家具の音楽"のように、こう、シーンと静まり返って 
潔癖に無菌状態で聴かなくてもいい感じがあって(実際、明日館の 
裏手でテレビか何かの撮影をしていて、機材をしまう音、スタッフの
声などがたまに聞こえたりした)、前の日に仕事ファイルの整理を 
していて、やっと中身を読み始められた(ごめんなさい筑摩書房の 
担当編集者さん!)・私が装幀画?切り文字を作った文庫を読み進め
ていました。青木さんに、演奏中ずっと本読んでたと終演後に話すと
「ご自由に過ごしていただければ」というようなことを、さらり。  




ちなみに、先述のサティは、自分のコンサートに来た人たちが演奏を聴くために
おしゃべりをやめたことに激怒したという伝説があります…。(wikiに詳細)。



読み進めていた(で、表紙の文字を私が制作した…)本の内容が、  
私の興味のある言語(言語学?外国語を学ぶこと)についてだったのと、
耳から入ってくる生演奏の微かな"旅の人"感(ツアーとかでしょっちゅう
旅をしてるイメージ、青木さん)。よく合っていた。コンサート終盤、 
日が傾いて、椅子を数センチ前に持って行かないと文字を読める明るさに
ならなくなって、面白かった。それだけの時間が、静かに過ぎてく感じ。







購入した新しいアルバムのタイトル「小さな歌」や、
曲の間に話してらした小さなものについての話と、 
小さなものについての話を青木さんがしていらして、


その話をしている、まさにその時にココを読んでましたっ!っていう
偶然ではないけれど(興味深く読めて、下の写真くらい、するすると
読み進めててしまったので覚えてません)、本の中にも「枕草子」の
一節「小さきものはみなうつくし」が引用されてたりして、何となく
今回のコンサートと、読書内容が響きあう。(ちなみに私の初個展
題名は「小さなかけら」です。紙「片」、かけら、のイメージと、 
「傑作」を「マスターピース」というように、「タイニーピィシーズ」
という英題をつけて…あ、話が逸れました)。         



読書、スケッチ、読書。ギターを弓で弾くのを初めて聴いた。
わあわあと、お喋り(数日前の、女友達たちとの夕食しかり)
のするも静かな一人の時間も入力だな、と思う。ここのとこ、
モヤモヤっとすることがあり、少し一息ついて、人に会ったり
本を読んだり、ちょこっと勉強モードです。気づいたのは、 
活字をたくさん読んでいると、例えばこういう写真を撮った時
(というか鍵アカウントのインスタグラムに)メモがてら、 
キャプションとして文字を打ち込むときも普段よりも文字数が
多いということ。絵を見ている時は、感じるものも言葉でなく
確固たるもの、というよりもボワっとしているのに対して、 
入力が活字だと、出るもの(出力、表現したくなるもの)も 
言葉が多めになるんだな!と。キタナい例えですけれど、美術
鑑賞なり、読書なり、美味しいものを食べるなり、感性を  
刺激されるものを「食べる」と例えるならば、それをきちんと
消化して、血肉に変えて、自分の表現に生かすことができる。
作品を排泄物に例えるのはあれですが(でも確か、Coccoも、
そんなこと言ってたな?)、表現者として表層的なモノマネ 
ばっかりする人はその、食べたものが自分のものにされて  
いない状態、消化不良で出て来て(出して)しまっているから
「モノマネ」だとバレるんです。それで、ついこないだ仕事の 
ファイルを整理している時に見つけた10年くらい前の自分の 
文章にも書いてあったのですが(下の写真参照→ 元の記事)、




例えば「文学の人」はきっと「文学」だけから学ぶ・吸収するのではない。ということは
常々思っていたのですが、「食べ物」が文字媒体ばかりだと"出るもの"も文字が多め
(普段の倍くらい?)になるんだ!と、体と同じなのねーと友人と話しながら
笑ってしまうような、ちょっとした発見でした。










2017/10/23

「トットちゃん!」で園長先生を思い出す






10/22のツイート、ほぼまんま:                      
録画で、昼ドラ「トットちゃん!」の少し前のを観る。トットちゃんが小学校の

自主退学を余儀なくされて、トモエ学園の校長先生(竹中直人さん・演)と面談

をする場面で、喋りまくる主人公が「もっと?(聞きたいの?)」と先生に尋ね
てしまうほど「うんうん」「すごいねぇ」と話を聞いてくれるのを見て、はっ!
既視感がある!と、久しぶりに幼稚園の園長先生のことを思い出す。四十年前に
すでに初老の印象だったから、もうお亡くなりになってる可能性の方が高い方。
私はトットちゃんのように退園になることはなかったけれど、物怖じしない方で
大人と話をするのが割と好きだった。ある時、一人、教室を抜け出して園長室に
いって、戸棚にあったマトリョーシカを触らせてもらったり、お喋りをしていて
帰りの会で、皆の前で謝った事があります(「え、なんで?」とトットちゃん 
みたく思ったのを覚えてます)。でもその時に園長先生が、私の親に、穏やかな
口調で、責めるでもなく「けいこちゃんは本当にお喋りが上手なのよ〜」「一杯
話してくれたのよ」と言ってくれたそう。トットちゃんの幼少期は、戦争前で 
特に厳しく「皆と同じ」が求められたのかもしれないけど、「個性的」が良しと
される風潮の現代においても、(自称でなく、どうしても「そうなってしまう」
生まれつきの)「変わってる」「変な」人たちの部類の人たちは、なぜ「同じ」
じゃなきゃいけないんだろう?とか、「皆と同じ」にできない微かな劣等感と 
共に「自身である」誇りを併せ持っている。んだと思う。私は当時幼すぎて、 
園長先生のその言葉のありがたみをよくわかってなかったけれど、あの時と  
同じような優しい口調で「あなたはあなたでいいんだよ」とでもいうように、 
にこやかに話を聞いてくれるトモエ学園の学園長の台詞を聞いて、ありがたい事
だったんだなあ!と大泣き。笑。ちなみに、中学校の時に習い事をしていた時の
先生(初老のご婦人、上品な方だった)は、なんと「窓際のトットちゃん」にも
登場する、トモエ学園での同級生の方だった。読み直したいなぁ、新たな発見が
あるかもしれない。(と、後日、再度購入しました…どこかに仕舞い込んである
はずなんだけど)。                           






翌日、掲載誌などの整理をしていたら、10年前(の年度…なので、書いたのは11年前?)に、
母校の入学案内に寄稿した文章が出てきました。ここのところ、自分の意見を言わないことを
美徳のようにいう人とのやりとりで、うーん???と思っていて(だからトットちゃんの話も
いつも以上に響いて、そう!そうなんだよ!と泣いてしまった)、私がその仕事相手に訴えた
意見と同じようなことを書いていて、わ、いいこと書いてんじゃん自分!とか、ブレてないな
自分、と苦笑いするような、誇らしく思うような、でした。ちなみに、私の短文の下には同じ
学年・同じ英米文学コースにいた方が載っていて、その当時(11年前)にすでに映像の仕事を
しているようでしたが、どんな仕事をしてるのかな?と検索してみたら、つい先日観に行った
                            ↓



映画「AMY SAID」にも携わってらっしゃったようで、
狭い、世の中狭い!と驚きました。






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