3. 31東京・田町の SHIBAURA HOUSE で
Namida Project のイベント「VOICES」が
開催されました。
最初のトークセッション【身体の声】。食品に含まれる
放射性物質の話。放射性物質に例えたボールと、影響を
受ける身体に例えた容れ物。人によって容れ物の大きさ
が違うので、少量の放射性物質で身体に影響が出ること
も、あるそう。だから、「何ミリシーベルトまで食べて
よし」ではなく、容れ物を広げ(≒ 免疫力をつけ?)
できるだけ放射性物質を体内にとりこまないようにする
のがよいようです。聞きかじりなので後で検索をして
みたのですが、野菜の皮は剥いたほうがよいとか。
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トークセッション1がおわり、撮影クルーとしても参加した友人の純子さんと一緒に
5階へ。エレベーター内で、カメラについたマイクに触らせてもらう。モフモフ…。:)
ポール・ヨハネッセン監督 「Then and Now(あの時そして今)石巻」を観る。
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初めて食べた三五八(さごはち)という麹を使ったお漬物、パンやお菓子も。
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1Fのショップでは、涙プロジェクトのロゴのバッジや Tシャツのほか、
「VOICES」のイベント名に共鳴するような "KIDS VOICE" 編集、朝日
新聞出版刊の「福島の子どもたちからの手紙」等の書籍も並びました。
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2FではNamida Project のロゴと、彼らの活動を撮った写真(撮影:高橋健太郎さん)を素材にした私の切り絵を展示。
いつになく大きな画面の作品を、3点ならべました。吊るす横棒にも思い出が。左下の写真は、3.11以降に発足した
彼ら・涙プロジェクトの初期のイベント:7月の「涙カフェ」の時の写真です。*作家近景写真は、友人が撮影。
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4月の京都でのミニ展覧会「切り抜き」の
案内状も掲示させて頂きました。
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左の写真はトークセッション2「福島の声」のようす。この日は、朝は晴れていたの
だけれど、日中は豪雨と強風。午前中は人もまばらでしたが、午後は悪天候の中、
沢山の方にいらして頂きました。トークセッション2の後は、5Fでポエトリー
リーディング、美術のインスタレーション、写真、音楽の公演も開催されました。
だけれど、日中は豪雨と強風。午前中は人もまばらでしたが、午後は悪天候の中、
沢山の方にいらして頂きました。トークセッション2の後は、5Fでポエトリー
リーディング、美術のインスタレーション、写真、音楽の公演も開催されました。
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何よりもトークセッション3「わたしたちの声」が、とても興味深かった。
セッションの冒頭に上映されたオーストリアのドキュメンタリー作品
『ツヴェンテンドルフ・ファイル』は、1970年代、建物がすでに出来上がった
状態の原子力発電所の稼働が、国民投票によって中止され廃炉になるまでの
経緯を追ったもの。
…と書くと、すんなり決まったように聞こえるかもしれませんが、投票結果は
ぎりぎり否定派が上回ったくらい。原発のおそろしさウンヌン、というより
「民主主義って、こういうことなのか」という部分が印象に残る作品です。
日本のテレビでも放映してほしいなあ、これ。
映像にも登場したピーター・ワイス博士がスカイプ中継で仰っていたのは、
賛成派・否定派、意見を交わすことが重要だそう。日本人の気質として、
意見を言わず丸く収めるのがよい、とか、人と同じであることを礼賛して
自分と違う意見を言われたら否定されたかのように感じる部分が(私自身の
中にも)あるけれど、それを変えていくのが、もしかしたら、今の問題の
解決の糸口になるのかもしれない、と感じました。闇雲に自己主張をせよ、
というのではなく、それぞれが違う意見を持っていて当り前、から始める。
それでも、3.11の後には自分の頭で考え、行動や発言が出来る人が段々と
増えてきたように思います。意見を言ったり、言われたり、それこそ声、
「VOICES」を交わす事に慣れてくるといいのかな…。司会から参加者への
最後の質問は「3.11の後、(あなたは/色んなことが)変わりましたか」
というような質問でした。これには迷わず全員が挙手でした。
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トークセッション3が終わった後は、
チャリティーコンサートが開かれました。
私はかねてから食べてみたかった会津の
「こづゆ」を頂いて、お先に帰宅。
貝柱で出汁をとって、小さな丸いお麩が
入っているのです。美味しかった!
この日、聞いた話や観た映像や会った人、
そして食べたもの。感じることが多くて
とても一言では言い表せないけれど、
いい会になったように思います。
悪天候の中、足をお運びくださった皆様、
Ustreamをご視聴くださった皆様、 そして
場と機会を提供してくださった SHIBAURA
HOUSEのスタッフ皆様にも、感謝を。
どうもありがとうございました!