2022/08/07

空白〜宇多田さん〜芥川〜マーラー

空白を満たしなさい(上) (講談社文庫)空白を満たしなさい(下) (講談社文庫)


2022/07/31:録画しておいたNHKのドラマ「空白を満たしなさい」最終回を観る。死んだ人たちが生き返ってしまう、なんとなく「世にも奇妙な物語」みたいな世界観。生き返った人たちが昨今の疫病(新型コロナウイルス感染者数)みたいに「今日も何人の復生者(ふくせいしゃ)が確認されました」と報道されるシーンも印象的だった。

私も(自分からじゃなくて)あやうく死にかけたような経験があるので、自分の死に際(になってたかもしれない瞬間)のことを覚えていないこととか、「なんか生して思ったんですけど僕が死んだあと遺された人たちって結構 僕のこと考えてくれてたんですよね」という主人公の台詞に、うんうん、わかるー、と「あちら側」の方で観てしまう。

物語の中で、生き返った人たちがまた、ふいに消えてしまう…となって、いつこの(生者と過ごせる)時間が終わってしまうかわからない、というシーンでドラマは終わるのだけど、それは、実は、というかなんというか、命の危機とか感じたことない状態で生きている、「死ぬかと思った」ことがない人でも同じことなのだ。

…と、昨日香港で起こったコンサート中の事故のことを思ったりする。←(MIRRORというアイドルグループのコンサートで、バックダンサーの頭上から600キロもあるスクリーンが落下して頭を、体の真ん中を直撃!即死しててもおかしくない状況ながら、深刻な状況ながらまだ頑張っているらしい、阿moさん)。

話を元に戻すと、ドラマ内で主人公が本当は生きたかったんだ、でも自死をしてしまったんだ、という話の時に、主人公の台詞だったのか相談した人の台詞だったかうろ覚えなのだけど、「火事で逃げ場がなくて窓から飛び降りたようなもの」という例えがすごく分かりやすかった。家族につらい思いをさせたくてそうしたんじゃないんだよ、本当は生きたかったんだ、と。

ドラマ序盤は阿部サダヲさんの怪演?サイコパスな演技が怖!ってなった序盤からは想像つかないエンディングだった。自死を扱う作品だけに、相談窓口の案内も出ていた。





翌日、8/1:自死を題材にしたドラマ「空白を満たしなさい」を観終わったばかりの散歩中に、(彼も自死した→)芥川龍之介の写真と共に芥川龍之介の遺族の言葉らしい「よく悩み、よく笑い、よくしゃべる人でした」という一文を知る。

芥川龍之介って何となく、寡黙な文学者のイメージだったから、へー、意外!と思ったりする。




ツイッターで「空白を満たしなさい」の原作者の言葉を読んで、あの作品は彼の父親(死因は書いてなかったけど早くに亡くなった方)がきっかけで書いた作品と知って、すごく納得した。

そりゃ、あれだけ引力のある作品になるよ、というか。

作者自身が、父親が「どうしていなくなっちゃったんだろう」という立場を実体験したことがあって、その「空白を満たす」としたらなんなんだろう、どういうことを自分は亡き父に言われたかったんだろう、っていう過程があったからこそ、心に迫るような何かがあったのかも、と。



そんなこんなで、「よし、芥川龍之介の旧居跡がどこにあるのか、探してみよー!」と、「田端文士記念館にも行ってみよう!」と心に決めて絵地図を写真に収める。





8/3:芥川龍之介の旧居跡(の案内板)、発見。(仮称)芥川龍之介記念館建設予定地と掲示された空き地が、近くにあった。



8/6:たまに無性に毛筆で文字が書きたくなって、芥川龍之介の旧居跡の近くの「上の坂」の案内板にあった短歌を書いてみる。どこか別の案内板に、この辺り(田端)は黄色い木だらけだ、みたいなのを読んだ気がするんだけど山吹のことなのかな?



8/7:初めて田端文士村記念館へ。特に印象に残ったのは、自死した芥川龍之介の、子供宛の遺書の複製。(→ 青空文庫で全文と他の人宛のものが読めます)。

遺書は8項目あり、その1は「人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず」その4で「この人生の戦ひに破れし時には汝等の父の如く…(伏せておきます)…せよ。但し汝等の父の如く 他に不幸を及ぼすを避けよ」って、えー!ってなる。その8「汝等の父は汝等を愛す」でホッとした?り。

この日記的なものの冒頭で言及したドラマ「空白を満たしなさい」と同じだ、本当は芥川も生きたかったのではとか、私の知る人でも一人、自死した人がいて、その人のことも思い巡らす。



そして、前の晩に久しぶりにテレビに出てくださった、(ご自身も大切なお母様が自死した)宇多田ヒカルさんのインタビューで、「誰でもしんどい時ってある。そういう時に周りの負担になりたくないから、家族でさえ、もしくはすごく親しい友人にさえ友人にさえ、そういう気持ちを話せない。気を遣っちゃって」(略)「大切な人を亡くしている、いろんな状況でっていう経験をふまえると、その気持ちも分かるけど、私だったら、大切な人がそう思っているなら言ってほしいなって思う」「人に頼るっていうことはいいことだと思う。本当に自立した人間であるっていうことは、いろんな人にちょっとずつ頼るみたいなことが、本当は依存の逆の定義なんじゃないかなって思って。誰の周りにも、本当はもうちょっと頼ってほしいと思っている人がいるんじゃないかないるんじゃないかな」「その人物のイメージの歌ですね」と、「BAD MOOD」について話してらした。芥川龍之介の遺書を読んだ後に、また録画を見直して、菩薩のように見えたり(笑)、芥川(や、自死した友人)に聞かせたい〜!と思ったりする。



その晩、1970年台のクラシカルミュージックのコンサート映像も観ていて、マーラーの「復活」の歌詞も、生きること、死ぬことに関連するものが多くて、自死をテーマにした「空白を満たしなさい」からの、自死で愛する家族を亡くした宇多田ヒカルさんの言葉、そして自死した芥川龍之介の遺書、マーラーの「復活」の歌詞(この部分は放送されてなかった?か、私は途中から見始めたので覚えていない・後で調べて読んだのだけれど→ 信ぜよ おまえは甲斐なく生まれたのではない 甲斐なく生き 苦しんだのではない、など)、実に順序よく情報に接することができた数日間、という感じでした。生きること、死ぬこと、遺されること、などについて。

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