2024年11月19日の朝、谷川俊太郎さんの訃報を聞く。お亡くなりになったのは、13日とのこと。92歳。
同時代を過ごせて光栄だなぁと思える方の一人。
\ かっぱかっぱらった /
\かっぱらっぱかっぱらった/
\ とってちってた/
まだ「谷川俊太郎」という名前の認識がないまま幼い頃に読んだり見聞きした作品以外では、学生時代に学校の事務のNさん(「手紙のある暮らし」という本のインタビュー
で私が "ロッテンマイヤーさんのような" と話したのが載っている方)に頂いた「ことばあそびうた」(絵は瀬川康男さん、1973初版…私の生まれる前!の本)の、かっぱかっぱらった…の発音して楽しい作品が特に印象に残っている。偉大な詩人、きっとお会いすることもないのだろうと思っていたら、不思議なご縁で(ポポタムの「ビバ!プリゴ展」
でご一緒した方がデザイン担当でお声がけくださって)、谷川俊太郎さん、賢作さん(父子)と、であるとあるで(楽団)のCD「あるでんて」のジャケットの絵を担当したことがありました。
その発売前のコンサートと、発売記念のコンサートの時に(あと一回、観客で行ったのもあったか?計3回?)生で!…と言いたくなるくらい、会えるとは思っていなかったのですが、お会いしたり拝見する機会がありました。
初対面の時は、まさかの舞台上から(あの)谷川俊太郎(さん)に!お礼を言われるという「初めまして」、初めての遭遇でした。※ジャケットの絵は辻恵子さんです、いらしてますね、みたいな流れで。
2013年の記事を引用:終演後、谷川賢作さん・谷川俊太郎さんと。←と、さらっと書いとくけれど、まさか話したり握手したりお仕事できるなんてね。お二人とは公演中に「辻さんもいらしているはず、居ますか?」「はーい(私です)」と、観客ごしに初めましてを言い、憧れの詩人に(CDのアートワークに関して)「ありがとう」を言われるという、よくわからない(想像を越えた・できすぎた夢っぽい)状況でした。
谷川俊太郎さんは、書かれたものも好きなのですが、私は彼の朗読も大好きでした。←過去形が寂しいですが。
編集者の友人(谷川作品ではありませんが「手から、手へ」など編集している山本純司さん)に、谷川俊太郎さんの朗読は何故、あんなによいのだろうか?というような話をしていたときに、それはたぶん、活字のように読んでいるんだよ、という話になって、すごく納得した覚えがあります。演劇的にドラマチックな感情を表すでもなく、受け手/読み手/聴き手に「想像する余白」を保ったような、ある意味すこしシラッと、冷静で飄々とした、感情を入れすぎない読み方というか。話は変わりますが私の学生時代には英詩の授業を受けていて、イギリスの詩人で画家のウィリアム・ブレイクについて卒論を書きました。絵を描いて英文学の勉強もしていた私にとって、絵も文学も表現方法として選んだブレイクに親近感を持っていたこともあるのですが、彼の代表作Auguries of Innocenceの冒頭の一説To see a World in a Grain of Sand And a Heaven in a Wild Flower…(一粒の砂に世界を、野の花に天国を見ることは…)に触れた時に、これはすごい、私がしたい、していることはコレだ!くらいに感じたものです。※新聞紙など、「普通の」印刷物から人物像を切り出したりすることをしているので。人が小さい、なんてことないと見逃してしまうようなもの(砂の一粒だとか、野に咲く花など)の中に素晴らしい、素敵なものを見つける視点が詩人でありアーティストなのだなぁ、と。
私が初めて文筆の仕事をした「すばる」のエッセイでも書きましたし、自主制作の出版物「A Heaven in A Wild Flower 」という題名のものを出したことがあるほどに、創作の原点の一つかもしれない言葉。その言葉について、谷川俊太郎さんもテレビのインタビューで言及されていたことがあって、あの谷川俊太郎さんにもブレイクのあの言葉が響いて、そして創りつづけていらしたんだぁ、と心の中で握手するような気持ちになったことも、書き留めておきたい。先日はたまたま、機会があって佐野洋子さんとの共著(絵を佐野さんが、詩を谷川さんが手がけた)「女に」を読んでいました。外国人の知り合いの方が翻訳なさるとのことだったのですが、日本文学に詳しいその人にとっても、日本の詩人と呼べる詩人は彼だけだ、くらいの勢いで評価していらっしゃいました。沢山の素晴らしい作品を、どうもありがとうございました。