2015/03/11

平和な3.11、「スタイルアサヒ」の実物を撮る






昨日の落書き(左)と、本日の落書き(右)。東日本大震災から4年めの3.11。 
呑気な絵を描いてますが、(70年前の)3.10と、(4年前の)3.11のことを  
思っていた日。TVで観ていた追悼集会にあわせて、私も一分間の黙祷をする。 
ぽろっと涙が出る。祈りであり、あれこれ想う時間なのだなあ。被害に遭った 
方々、信じられないあの景色、東京も揺れてこわかったこと、そして見えない 
アレの恐怖だとか。戦争と自然災害という違いはあれど、あの時こうしておけば
よかった、同じことを繰り返さないためには私達が伝えていかなくてはいけない
という強い気持ちは、先述の3.10の体験者も同じだろう。一日違いで起きたのは
偶然かもしれないけれど、一日違いであったから、彼らをより近しく感じる。 
まだ、地震や津波の映像を見るのはザワッとして、こわい。なるべく日常に近い
ペースで過ごす。でも、一年前、二年前よりはずっと「日常」だ。忘れた、と 
いうことではないのだけれど。髪と色鉛筆を持ったとき、ざっと出てきたのは 
ばちこーん ー★ とウインクするウサギだった。つらさ、悲しみ、暗さ、を 
内包した、あるいは突き抜けた明るさみたいなのってあるんだよなあ。    
そういうときにいつも思い出すのは谷川俊太郎さんの「まっすぐ」なのですが。
"まっすぐを 生み出すちからは まっすぐではない"。歌詞として書かれたのか、
詩に曲がつけられたのか不明ですが、大貫妙子さんが歌ったきょくもあります。





ところで・・





昨日は時間がなくて撮れなかったのですが、先日スクリーンショットを
更新した「スタイルアサヒ」の実物・冊子になったものが届きました!
昨日は曇り空だったし。今日は、おひさまが出ている間にパチリ。  

朝、たまたま電話をくれた伯母に、今年度、この小冊子の表紙を担当 
するんだよ、という話をしたら、「わー、ケイコちゃんえらいわあ」と
とても喜んでくれて、なんと「ちがう新聞にしてたけど、この一年、 
朝日新聞、とるわ〜!(in 関西弁)」ですって。笑。あざーっす!  



\ふ〜、ただいま!/            

原画も、大阪から戻ってきました。紙面上はデザイナーさんが切り絵の背景に
影を入れてくださっているのですが、原画はまっさらです。        






ここ数日の写真がたまっていたので、ひさしぶりにスピッツのDVDをヘッドホンで
聞きつつPC作業。この人の声の浄化力は、すごいね。なんとなくだけれど、こう、
パッショネイトになることなく、わりと眈々と歌っているのだと思う。そういえば
3.11のあと、草野マサムネさんが歌えなくなっていた時期がありました、ね。  
そんなことも思い出しながら、つらつらと書き留める。平和な3.11が過ぎました。











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