2017/12/07

熊谷守一展へ






12/7:東京近代美術館での熊谷守一展へ。撮影禁止の展覧会の場合、
これはもう二度と見られないかもしれない!と思って、さりとて凄く
まじめに描くのでもなく、スケッチするのだけど、会場を出てから、
その絵の絵葉書を売店に見つけると、嬉しい反面、なぁんだ〜、ある
なら教えておくれ、と思うこともある。図録は滅多にかわないので。



この絵は絵葉書がなかったもの。素描で大体は
思い出せたり、自分がどこをどう面白いと感じ
たか、など分かることがあるんだけど、はっ、
そうか、これはモノクロなんだな。色は言葉で
書き留めておくしかない、という。美術展で、
絵の具を広げて模写できる国があるというけど
「うち」はそうじゃない。          




以前、東京・豊島区にある熊谷守一美術館で彼の原画を
見たことがあったけれど、ここまで体系的な展覧会は 
初めてでした。青木繁と同級生だったという東京藝大の
時代に、親を亡くしたり、踏切に飛び込み自殺をする 
(見知らぬ)女性を見かけてしまったことなどを知る。 
そのことを絵にしたという、とはいえ何が・何か描いて
あるのかも分からないほど暗い・のっぺり茶色い作品 
「轢死」(れきし)という作品をはじめ、若い頃の作品は
暗め。そして、割と写実的に描いてあるものが多い。 
そのあとにタッチが少し明るく・絵の具をなすりつけた
跡が残っているような絵になる。5人の子供のうち、 
3人が他界してしまったということも知らなかった。 




1940年代くらいから、いわゆる「熊谷守一」と言われて
想像するような、整理された線と平坦に色を塗る感じの
絵になっていく。単純に明るい絵のようでいて、描かれ
ているのが二十代そこそこで他界した娘の骨壷を抱えた
娘(熊谷榧:かやさん)と、息子と共に焼き場からの 
帰り道の図だったりする。私自身も、そういうとこが 
ありますが(詳しくはご想像に)、わりと明るいだけ!
いいことだけ!みたいなのは信用しきれないというか、
表層的に思えてしまうところがあって、例えばティム・
バートン、バスター・キートンのような、凄く暗い所も
知った上での・ドロドロした部分や影の部分も経験した
からこその「上がってきた」ときの明るさ・まっすぐさ
深みや魅力というものがあると思うたちなのですが、 
熊谷守一もそうだったのか、なるほど。と思った次第。

鉄を鍛える時だとか、こう、叩いて強くするみたいな事
を想像したり、何度かツイートをしたことがあるけれど
大貫妙子さんが歌う谷川俊太郎さんの歌詞「まっすぐ
のことも考える。「まっすぐを生み出す力はまっすぐ 
ではない」。紆余曲折したり、壁にぶつかったり、人と
ぶつかったり、悶々と考えたり、悲しんだり、そうした
ウネリを経験した後に辿り着いた真っ直ぐさの強さ(と
いうのは人を負かす強さではなく、非力でどうにもなら
ないことも受け入れるような力)は、多分、生まれた 
ばかりの子供の純粋無垢な真っ直ぐさよりも強い。  




帰り道、公園をつっきって別の地下鉄の駅から
帰ることにする。始めて歩いた道。平日で人も
少ない。この階段を上ったら何が見えるのかな
と行ってみると、お堀が広がっていて、壮観。



こんな都心に、紅葉を楽しめる場所が
あったんだー!眼福・眼福でした。 




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