2011/11/16

東野翠れん「イスラエルに揺れる」




イスラエルに揺れる (真夜中BOOKS)


今日は本を三冊手に入れて、これを最初に読みました。


東野翠れん「イスラエルに揺れる」         


友人の娘さんが書いた本。著者の母や祖母(つまり  
私の友人や彼女の母親)も登場します本の中に   
出てくるゴマのお菓子の味も、友人(著者の母)の  
話しや、笑顔も具体的に頭に浮かぶ珍しい読書。  

知っている人の、知らない部分。若い頃に旅をして  
いた頃の話や育った土地の事、友人たちや親族の事。 
言ってみれば、"人となり" ができあがっていく過程を 
知るような、"根"の部分を知るような。不思議な感覚 
でした。私の友=主人公、ではないのですけれども。 

私が小さい時の習い事の先生が、黒柳徹子のベスト  
セラー「窓ぎわのトットちゃん」にトモエ学園の   
同級生として登場してると知り・ながらページを   
めくった時の事を思い出しました。私が知っている  
先生は初老ご婦人なのに本の中では小学生。…で  
あるように、友人は本の中では若者だったりする。  
先日、1666年に松尾芭蕉が 23歳 だった読んで   
「若者時代の芭蕉なんて、想像した事ない!」と    
驚いたのですが、どの時代に自分が「その人」に   
出会うかによって印象は違えど、誰でも最初は    
子供で生きていれば老人になる・なれるですよね。

それと、例えば写真家・荒木経惟奥様の陽子んの 
話のように、周りに「表現をする人」がいたからこそ 
第三者が知り得る物語がある。その一方で、ある人の 
記憶の中にだけとどまって、その人がなくなると共に 
消え去っていく素敵な物語もきっと沢山、星のように 
沢山あるんだろうと想うと、少し切なくなりました。 

あの人のおばあさんはあんな人だった、とか、あの  
場所は今はこういう所である、とか、些細な事でも  
ディテール(それは料理の香りだったり味だったり、 
人の仕草や声、行動だったり色々)が、もし文章なり 
作品になって(&時代が過ぎていくとき、ふるいに  
かけられても古びず、飽きられず、残って)いたら、 
ずっと先に生まれる・私は会えない人たちにも伝える 
ことができるんだなあ…なんて、「表現すること」や 
「伝えていくこと」などという巨大なテーマにまで、  
考えが及んでく。忘れたくないあれこれ、生きている 
うちに伝えたい・きっと伝えるであろう、あれこれ。 






話をもどしてイスラエルという国は一般的な日本人に
とって「ニュースでよく名前を聞くが、余り知らない
国」であるかもしれません。私も同じで、行った事も
なければ歴史や情勢についても疎いのですが、私には
この本の著者のお母様以外にも、イスラエル人と結婚
した日本人の友人がいます。           

それなので、特に勉強するでもなく、チャット等々で
ユダヤ教の戒律の話や、ファラフェルの作り方などに
ついて日本語で会話できたりこの本にも出てくる 
タヒニという白ゴマペーストをお土産にもらったり
少しづつイスラエルの文化も教えてもらっています。
 
日本人の友も、イスラエル人の旦那さんも私の絵が 
好きで、私の切り絵入りの結婚式招待状をデザイン 
したことがあります。その結婚式参列するために 
テルアビブへ旅行するかもしれなかったので、  
本で読む土地の話も興味深かった。ハーブが花束の 
ように売られているのを、いつか実際に見てみたい。




今日、手に入れた本・三冊のなかでこの本を一番先に
読んだのは、イスラエル人と結婚した友達に贈りたい
なあ、と思ったから。ポーランド人とイギリス人の 
両親を持つ私の友(イスラエル人)と日本人の間に 
うまれた著者、が書いた本をイスラエル人と結婚した
日本人の友が住むドイツに、航空便で送るのだ。  
地球をぐるぐる。へんなの。ちょっと気の早い、  
クリスマスプレゼントになる予定です。      



      





About a book by MS. HIGASHINO Suilen

0 件のコメント:

LinkWithin

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...