今日の製作はこれでした。後で作りなおしたので
陽の目は見ない作品ですけれども。コーヒーの
カップと紅茶のカップの違いについて、まじめに
考察した事がなかったのですが、言われてみれば
そうだ、紅茶は香りを楽しむために広くて浅い形
のものが多いね!と、言われてガッテンして、
こうやって実感を伴って賢くなっていけるのは
ありがたいことだなあ、と思いました。数日後に
みかけた、門前の貼り紙が、この経験と重なる
感じだったので、パシャリ。
↓
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思い立って公開のインスタグラムを始めてみました。
最初は公開にしていて、そのあと非公開(いわゆる
鍵アカウント)に、しかしお知らせ用は必要かなー?
と思って、試運転です。→ こちら
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一日中製作で家に篭っているのも不健康なので
夕方の短い時間、外出しました。カフェで
頂いてあった展覧会の招待券で、予備知識
ゼロで。東京国立近代美術館(MOMAT)での、
「声のマ 全身詩人、吉増剛造展」。いくつかの
展示室は撮影OKでした。薄布ごしに、沢山の
カセットテープが並べられているのを見る人。
隣の展示室には、小学校の時にこういうの
やった気がする〜、と、程度の低い反応で
すみません、けれども、銅版を釘状のもの
で叩いて凸凹をつけていく手法の作品が。
藝術は自由でありつつ固執とか、自分内ルールとか、
そういうものとも繋がりがあるね、と思う。たとえば
草間彌生さんは水玉、この方は記録することへの。
まあ、造形作家でなく言葉を表現手段とする詩人で
あるとしても。紙や写真、銅板やカセットテープ、
あらゆるものに記していた。あまりに膨大すぎて、
私自身制作後のぼんやりした頭なので日本語が
分からない人のように、読まずに、見る。
これらの写真を友人知人だけが見るSNSでシェアすると
(PCと、端末をワイヤーでつないで読み込むのが面倒で、
たいてい、画像はそこに投げてしまうのですが)、その
銅板は父が提供したんだと、学友。世の中はせまい。
企画展のチケットで、常設展も、贅沢に(すごいスピードあげて)
駆け足で見る。あ!これは凄いと思ってた!という、瓦屋根に降り
始めの雨粒が模様をつくる絵(→福田平八郎の「雨」)の現物を、
不意に見られて、まちなかで大物俳優に会った気分。瓦の影の黒の
描き方に迷いがなく、格好良かった。それから、美術館内の掲示に
「眺めのよい部屋」とあり、そういう題のインスタレーション作品?
がアッチにあるの?と思ったら文字通り「眺めのよい部屋」 で、
何人かが話もせず皇居のお堀を眺めなていて、面白かったです。
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