なじみない"イタリア文化会館"から封筒がとどき、何だろう?と思ったら
「小田部羊一と『母をたずねて三千里』展」のご案内でした。嬉しい。
この手紙が届いた前の日に「今日は初個展の初日から18年目だー」とか
思っていて、そして翌日、小田部さんの展覧会案内状が届くのも何だか
不思議。奥様で同職だった奥山玲子さん(故人)、その初個展の時に
知り合えた方なので。(→ 小田部さんに会えた日、玲子さんの事)。
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後日追記
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後日追記
「マルコの世界」展に、伺ってきました。
作品は是非、会場で実物を!とい思うので
ブログには載せませんが、図録も充実して
いて、素敵です(チラリ)。少し縦長の
判型で洒落てる。「母をたずねて三千里」
は、1976年、40年前の作品なのだそう。
開会の挨拶で、アニメ作品は本当に沢山の人達が
作り上げているものなので、展覧会のタイトルに
自分の名前が掲げられているのが不思議な感じだ
というようなことをおっしゃっていました。図録
には、同じくアニメに携わっていた(&私の個展
にもいらしてくださっていた)奥様の笑顔も。
「母をたずねて三千里」を製作するにあたって、
まず訪ねたのがイタリア文化会館だったそう。
その場所で、この(規模の大きい)展覧会を
開催するのは感慨深いだろうなあ。日本人、
イタリア人、沢山の方々がいらしていました。
ご招待いただいたレセプションには二人まで
列席できたので、私よりもアニメーションに
のアニメーターの小中志展(しのぶ)さんを
誘って、伺いました。
そうそう、乾杯の音頭をとったのは、高畑勲さんでした。
詳しい小中さんに、例えていえば誰がど ういう役割の仕事
だったのかを尋ねてみると、携わっている少数の人にしか
分からない例えで申し訳ないけれども:高畑さん=監督・
演出・絵コンテ=私たちの(朝ドラと宇多田さんのビデオ
を作った)チームでいうと小川純子さん、小田部羊一さん
=マルコ、とかキャラクターをデザインする人=例えると
青い服の少女などを作った私・辻恵子。そして、「母を
たずねて三千里」当時の→宮崎駿さん=それをレイアウト
したり動きをつけたりする人=僕(小中さん)かな、と。
あー!なるほど!!と、実感を伴って納得できた嬉しさと
同時に「あー。私、小田部さん(と同じ役割だったの)
かあ」「僕、宮崎さんかぁ」などと、何だか、こそばゆい
ような嬉しい気持ちで自分達のチームと重ねていました。
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後日(2017年6月)追記:MXTV2で
「母をたずねて三千里」の再放送が
始まって、嬉しい!
エンディングにも、奥山玲子さんのお名前が。
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