2017/06/28

画廊ハシゴ / 「分かる」良さと「分からない」良さ







6/28:ふらりと森岡書店での川内倫子さんの
Halo」の出版記念写真展へ。まるで一つの
大きな生き物であるかのように群れをなして
飛ぶ鳥の姿など。※展覧会に関連した写真は
ありません、右は会場近くで撮影したビル。
左は同じく近くの歌舞伎座にて。海老蔵さん
と御子息が演じる役かな。静かに応援。  





下調べをせずに出かけたのだけど銀座に来たらこの画廊は寄って
みようか、という場所が幾つかあり、そのうちの一つメゾン・
エルメスへ入ってみると、アブラハム・クルズヴェイカスさん
という、メキシコの方の作品が見られました。開催地の素材で
作品を作るのが彼の流儀らしく壁に長野の銘菓「雷鳥の里」の
雷鳥が貼ってあったり、新聞で作られたインスタレーション 
作品なども。私自身も新聞紙の活字を素材に切り絵を作る事が
あるので、例えばタイ語とか そういう、私が理解できない 
外国語の新聞を切るときに、 もしかしてその言葉を理解する
人たちにとって可笑しな作品にならないかしら?と心配になる
ので、その逆:ああ、日本語の新聞紙、こういう風に使われる
と、見る側はこういう感じなのか(うまく言い表せないけど)
…と、リサーチ脳になっていました。笑。とかく、日本は外国
から来たものをありがたがる風潮があるから、「わからない」
言語などのもの:例えばブランド名がどーん!と入った服も、
普通にある。「その言語圏」の人には読めるわけで…それって
オシャレなの?と私はいつも「???」となってしまうけど、
例えばアメリカに進出した日本のミュージシャンなどは歌詞を
ちゃんと英語にしないと「わからない」から売れない、という
定説(を宇多田ヒカルさんの「Fantôme」は打ち破ったけど)
がある。「わかる」良さと「わからない」良さについての  
考察をしていました。わからないでしょ、だからアートなの、
というのはあまり好きじゃないけど、わかりやすすぎても、 
それはアートなのか、と思うし難しい。下は新聞紙の作品も 
写っている、「もみじ市」のウェブコマーシャル。     
*映像:ネル・ラボ                   







帰り道、今やなかなかお見かけしない
銀座紳士に遭遇、思わず写真を撮る。
隣町の有楽町なので有楽町紳士と呼ぶ
べきか。私のおじいさんが若い頃の 
銀座といったらお洒落をして、少し 
気取って歩く大人の街っていう印象 
だったけど、今はもっと観光地的に 
なって来た。日々変わるのが都市だ。




マクドナルドやスターバックスは、
定着しちゃった感があるけど、 
久しぶりに「渡来して来たもの」
って感じがあるハンバーガー店
珍しく行列ができておらず小腹が
空いたタイミングで通りかかった
ので、えいや、と入り、ほのかに
異国情緒を感じつつ、パクパク。
外から来たもと土着のもの、理解
できない良さとできる良さ等に 
ついて考える日でした。    



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