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行かなくちゃ、と気になっていた「植田正治のつくりかた」@トーキョーステーション
ギャラリー。やっと見に行けました。実物写真の質感、潔い、凛とした、清潔感のある
構図。とくに、投影された写真集「童暦」のスライドショーが印象に残る。実際に手に
とってめくることは出来ないのだけれど、両側のページの作品の響きあいというか流れ
が、なんとも心地よい。本、という形での見せ方と、展覧会、としての見せ方の違いに
ついて思いを巡らせたり。写真の中に絵画のように留められた美しい家族の姿を見る時
感じたのは、人と、作品の生きる時間について。人が生きる時間は永遠ではなく、この
偉大な写真家もこの世にいない、だが、作品の中に留められた世界の人たちは老いる事
なく、二度と訪れない「その瞬間」が永遠に一枚の写真の中に生きつづける。それは
死にゆく自分たちと、ずっと"生き"つづける彼ら=神、のような関係で、畏れにも似た
感覚に捉えられる。そんなことを考える時、キーツがギリシアの壺について書いた詩を
思い出す。美しい、ずっと人を魅了する壺を作った人もまた死にゆく身体を持っていた
人。生きる時間は短くて、だからこそ写真に、言葉に、作品に留めるのだろう、人は。
死にゆく自分たちと、ずっと"生き"つづける彼ら=神、のような関係で、畏れにも似た
感覚に捉えられる。そんなことを考える時、キーツがギリシアの壺について書いた詩を
思い出す。美しい、ずっと人を魅了する壺を作った人もまた死にゆく身体を持っていた
人。生きる時間は短くて、だからこそ写真に、言葉に、作品に留めるのだろう、人は。
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