2018/03/21

19年前の自分の写真を見て思う、「若さ」のこと





3/21:家具の配置を変えて、プチ模様替え。
紙ものを入れていた段ボール箱を解体して
中のものを整理(主に処分)したりする。
ビールの箱にプラダの新聞広告を貼って、
部屋に置いている時に見える背の部分には
美しい手のポーズがあって。見慣れた景色
だったんだけど、それも今日までだ、と 
写真に収める。そして、中に入っていた 
学生時代(まだ電子メールが普及してない
時代ですよ)の手紙の束の中に、いくつか
20代の自分の写真を発見して、懐かしい。


Y田M子さんが撮ってくれた一枚。




これはもっと前、1999年の私と、左は今・2018年の私。細い・太い
というのは言わずもがな(反省)だけれど、目が不安げだな、と 
気づく。家族に見せたら貫禄が…(出てきたんじゃない)と笑って
いた。若さというのはどういう事なんだろ、ケーススタディを重ね
て、出来る事、出来ない事を自覚して、これなら多少は人の役にも
立てるのかもしれない、というような自分を信じる力がつくという
事でもあるのかな、と感じる。右の写真は、もうなんか、大丈夫よ
と抱きしめてあげたくなるような心もとない感じだ。まだ初個展を
開催して間もなくて、絵なんていう不確かな(会社員みたいに固定
給ではない)事が仕事になるんだろうか、仕事になったとしても、
本当に続けていけるんだろうか、なんて思ってたのかも。大丈夫、
なんとかな(って)るよ、信じられないかもしれないけど、絵本
出させてもらえるし、何と朝ドラの絵とかやっちゃうんだよ、と、
19年前の自分を安心させてあげたいような気持ちになる目だ。  

たまたま、この日に、観ていたドラマ「anone」の最終回があり、
そこで小林聡美さん演じる役と、広瀬すずさんが演じる役は両方共
不治の病にかかった男性に愛情を感じるが…(一方は年の功?で 
堂々と「私に看取らせて下さい」と言う、一方は若く、どうしたら
いいのかわからず嫌ってもらえるような嘘をつく)という話、若さ
と年の功、どちらがいいというのではないけど、年齢を重ねる、と
いう事の臨機応変さや腹をくくる感じと、若さの、自分が何にでも
なり得る(海のものとも山ものものとも分からない)からこその 
不安さなどについても、この写真を見て感じました。ドラマの内容
について書き始めると長くなるので、かなりぞんざいに端折って 
しまったけど、すごく良いドラマでした。脚本家の方は、これで 
しばらくテレビドラマはおやすみなさるそう。それもいいな、と 
思いました。表現する人というのは何かしら、やはりクライアント
というか発注した人の求めるものを表現しなくてはいけない時期も
あり、ただ、そればかりやっていると本来自分はこういうのが作り
たかったんだっけ?とかいう変なループに陥ることもある。そんな
時は休むというか立ち止まってみるに限る、などと、宇多田ヒカル
さんの「人間活動」然り、思ったりもします。あ、別の媒体の仕事
で頑張ります、ってことらしいですけれども。         



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