ぜいたくな、ぽつねん。ヨーガン・レールさんの作った沢山のランプに囲まれて。
服飾デザイナーの彼は、このランプ作りを「最後のしごと」と文章にのこしていた
ようです。この文末に添えられた日付は、彼が亡くなったのと同じ2014年9月。
ファッションに疎い私ですが、レールさんは好きな服飾デザイナーの一人です。
社食の本なども出ているし、ショップには器等もあり、服だけではないけれど。
思い出せる限りでいうと、2004年に坂田栄一郎さんの写真展でレールさんが写った
作品があり、いい目をした人だなあ、どんな人何だろう、と思って名前をメモした
気がします。翌年、ショップで開催された「DACHI」の写真展を見に行きました。
2008年だったか、展覧会のお祝いにと一着、手に入れた時は嬉しかったなあ。
ある時、試着を終えて外に出るとデザイナーご本人が(偶々)いらして、似合い
ますねというような会話をしたのが、直接お会いできた最初で最後だった。
展示室で見られるランプはすべて、砂浜で拾われたものが素材なのです。
ヨーガン・レールさんに拾われた海のゴミはしあわせだね。
ヨーガン・レールさんの服はナチュラルなイメージだけれど、海辺で拾ったもので
制作されたランプは、素材が素材だけにキッチュでカラフルなものも。この写真の
作品などは、人形の脚が!かくれていました。シンプルでナチュラルで凛とした
世界観だと思っていたレールさんの、別の世界観を見ることができて嬉しかった。
個人的には、ディズニーよりバートン、チャップリンよりキートン、というように
私は少し毒や憂いや影、といった健全じゃない部分がちょっぴり入った、あるいは
ダークなものを内包、つきぬけた上での健全さ?まっすぐさが好きなのだ。自己に
対して、他人が抱く勝手なイメージを打ち壊していく勇気も。
沖縄の浜辺に打ち捨てられた、あるいは流れ着いた醜いプラスチックのゴミを
自分の手を介することで自分が美しいと思えるものに変える、ということは、
日常にある、読み終わったら資源ごみになる新聞紙から何か人物像を切り出す、
自分の切り絵制作にも通じる感覚。人がそれはゴミだよ、ただの新聞紙だよ、と
0 件のコメント:
コメントを投稿