2015/07/22

MOTに、ヨーガン・レールさんのランプを見にゆく






ぜいたくな、ぽつねん。ヨーガン・レールさんの作った沢山のランプに囲まれて。





服飾デザイナーの彼は、このランプ作りを「最後のしごと」と文章にのこしていた
ようです。この文末に添えられた日付は、彼が亡くなったのと同じ2014年9月。 

ファッションに疎い私ですが、レールさんは好きな服飾デザイナーの一人です。 
社食の本なども出ているし、ショップには器等もあり、服だけではないけれど。 

思い出せる限りでいうと、2004年に坂田栄一郎さんの写真展でレールさんが写った

作品があり、いい目をした人だなあ、どんな人何だろう、と思って名前をメモした
気がします。翌年、ショップで開催された「DACHI」の写真展を見に行きました。

2008年だったか、展覧会のお祝いにと一着、手に入れた時は嬉しかったなあ。 
ある時、試着を終えて外に出るとデザイナーご本人が(偶々)いらして、似合い
ますねというような会話をしたのが、直接お会いできた最初で最後だった。  








展示室で見られるランプはすべて、砂浜で拾われたものが素材なのです。
ヨーガン・レールさんに拾われた海のゴミはしあわせだね。      






ヨーガン・レールさんの服はナチュラルなイメージだけれど、海辺で拾ったもので
制作されたランプは、素材が素材だけにキッチュでカラフルなものも。この写真の
作品などは、人形の脚が!かくれていました。シンプルでナチュラルで凛とした 
世界観だと思っていたレールさんの、別の世界観を見ることができて嬉しかった。
個人的には、ディズニーよりバートン、チャップリンよりキートン、というように
私は少し毒や憂いや影、といった健全じゃない部分がちょっぴり入った、あるいは
ダークなものを内包、つきぬけた上での健全さ?まっすぐさが好きなのだ。自己に
対して、他人が抱く勝手なイメージを打ち壊していく勇気も。         





沖縄の浜辺に打ち捨てられた、あるいは流れ着いた醜いプラスチックのゴミを 
自分の手を介することで自分が美しいと思えるものに変える、ということは、 
日常にある、読み終わったら資源ごみになる新聞紙から何か人物像を切り出す
自分の切り絵制作にも通じる感覚。人がそれはゴミだよ、ただの新聞紙だよ、と
目もくれないものに自分の手で再びイノチを宿すことが、作り手の役割。   


→ 展覧会は10月まで見られるようです。是非。








 

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