2019/10/11

和田誠さんの訃報、初めての装幀画の話




定本 和田誠 時間旅行


10/11:ツイッターを見ていて、和田誠さんが7日に亡くなったと知る。

数日前、ピンポイントギャラリーの本棚にあった和田誠さんの分厚い 
画集(上の画像のもの)をめくって、わー、やっぱすごいなぁ、と  
再認識していたところでした。                  

 

 *



私自身は2016年と17年の回に参加
した新潟・佐渡島でのブックイベント

ハロー!ブックス」の2015年の回に、奥様の平野レミさんがスペシャル
ゲストとして招かれたことがあったようで、そのイベントの参加仲間や 

イベント主催者側の人々の中には、和田さんにお会いしたことがある人も
ちらほらいるのだけれど、(下の引用ツイート参照、佐渡を題材にした 
絵も描かれたようです)私は残念ながら、作品を知るのみ。      












メディアで和田さんの作品を見るばかりでしたが、昨年2018年に、
私が東京イラストレーターズソサエティに入れることが決まった 
時に、わぁ、和田誠!(さんと一緒!)と喜ぶも、その年?だかに
退会なさってお見かけも出来ず。2年前、2017年には大規模な展覧会
和田誠と日本のイラストレーション」を堪能。私の中で「和田誠」!
(さん)といえば何だろう、どの作品だろう?と思い出して見ると、
たぶん学生時代にチラシ置き場でもらってた黒柳徹子主演の(今は
なき→)セゾン劇場での公演のための絵か、初期の個展の案内状に
貼った「上を向いて歩こう」の切手とか…と書いていて思い出す:




そうだ、うちにも一枚、和田誠作品が!(‪がトムズボックスでの展覧会
で手に入れたもの)。毎日みているのにね。‬この絵、ちょっと前に父が、
他の人にあげようとして、泣いて阻止した思い出の作品です。だってさ、
和田誠だよ!(←あえて呼び捨て)。毎日見たって飽きない、素晴らしい
作品じゃないか。(いや、飽きたからあげるって話でもなかったんですが
絵描きの私のために手元に残しておくれ、と懇願しましたっけ)。別れが
辛くて泣いてしまうほどの作品を作ってくださって感謝です。合掌。  
      







余談ですが、奥様の平野レミさんには、母校の特別講義でお会いしたことが
あります。レミさんが出てたTVコマーシャルにが携わっててて、微笑ま 
しい話を聞いたりしてた。ご子息の和田唱さんも同じ学校に通っていたよう
で(少し後輩)、卒業した後に「在校生に、すごい人たちがいる」という 
噂を聞いてたらトライセラトップス(バンド)がメジャーデビューして  
驚いたり、和田唱さんも寄稿した文化学院の入学案内でご一緒した事が。 

そして初めて装幀画と題字の仕事をした時(田辺聖子・著「夢の櫂こぎ  
どんぶらこ」2002年にハードカバー、現在は文庫版のみ販売中)には、雑誌
雑誌の連載を単行本にした本だったのですが、その雑誌連載時の題字と挿絵
も和田さんによるものでした。誰か(誰だったのか、和田さんだったのか、
別の人だったのかは不明ですが)に決まっていたのを、私の個展を見た編集
者が抜擢してくださった。連載当時は和田誠!(さん)が手がけていたもの
だったのか!なんて名誉な!と、感動したのを覚えています。      




追記


1/11、HBギャラリーでの追悼展へ。



え、撮影オーケー?と、そわそわするも、えいや、と、
ピンときたフレッド・アステアの作品だけ、ぱしゃり。



亡くなった後の追悼番組(サワコの朝など)をみていると、
例えばスポニチの記事から引用すると→ イラストレーターと
いう職業を定着させ、先駆者として一線で活躍を続けた。と。
今わたしも何となく、イラストレーター・同業者の人たちの 
こと、ちゃんと考えて?と戦ってる感があるんだけれども、 
そのもっと前、礎(いしずえ)を作ってくださったのだ、と。
ありがとう、和田さん。洗練された線、絵で伝えるという事 
(進んでテレビなど出なかったとか)、など感じて帰宅。  

















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