10/11:ツイッターを見ていて、和田誠さんが7日に亡くなったと知る。
数日前、ピンポイントギャラリーの本棚にあった和田誠さんの分厚い
画集(上の画像のもの)をめくって、わー、やっぱすごいなぁ、と
再認識していたところでした。
再認識していたところでした。
*
私自身は2016年と17年の回に参加した新潟・佐渡島でのブックイベント
「ハロー!ブックス」の2015年の回に、奥様の平野レミさんがスペシャル
ゲストとして招かれたことがあったようで、そのイベントの参加仲間や
イベント主催者側の人々の中には、和田さんにお会いしたことがある人も
ちらほらいるのだけれど、(下の引用ツイート参照、佐渡を題材にした
絵も描かれたようです)私は残念ながら、作品を知るのみ。
ちらほらいるのだけれど、(下の引用ツイート参照、佐渡を題材にした
絵も描かれたようです)私は残念ながら、作品を知るのみ。
和田さん— ハロー!ブックス公式アカウント (@hellobooks2017) 2019年10月12日
レミさんと一緒に佐渡島にきてくださってありがとうございました。いきなりはじまっちゃったレミさんとのWサイン会での編み大ダコの触手と共にサインしていたのも素敵な思い出ですし、入場パスのbookメガネをかけて会場をうろついてくださったのも最高でした! pic.twitter.com/d8kXP4j7vB
— ハロー!ブックス公式アカウント (@hellobooks2017) 2019年10月12日
— ハロー!ブックス公式アカウント (@hellobooks2017) 2019年10月12日
メディアで和田さんの作品を見るばかりでしたが、昨年2018年に、
私が東京イラストレーターズソサエティに入れることが決まった
時に、わぁ、和田誠!(さんと一緒!)と喜ぶも、その年?だかに
退会なさってお見かけも出来ず。2年前、2017年には大規模な展覧会
「和田誠と日本のイラストレーション」を堪能。私の中で「和田誠」!
(さん)といえば何だろう、どの作品だろう?と思い出して見ると、
私が東京イラストレーターズソサエティに入れることが決まった
時に、わぁ、和田誠!(さんと一緒!)と喜ぶも、その年?だかに
退会なさってお見かけも出来ず。2年前、2017年には大規模な展覧会
「和田誠と日本のイラストレーション」を堪能。私の中で「和田誠」!
(さん)といえば何だろう、どの作品だろう?と思い出して見ると、
そうだ、うちにも一枚、和田誠作品が!(父がトムズボックスでの展覧会
で手に入れたもの)。毎日みているのにね。この絵、ちょっと前に父が、
他の人にあげようとして、泣いて阻止した思い出の作品です。だってさ、
和田誠だよ!(←あえて呼び捨て)。毎日見たって飽きない、素晴らしい
作品じゃないか。(いや、飽きたからあげるって話でもなかったんですが
絵描きの私のために手元に残しておくれ、と懇願しましたっけ)。別れが
辛くて泣いてしまうほどの作品を作ってくださって感謝です。合掌。
*
余談ですが、奥様の平野レミさんには、母校の特別講義でお会いしたことが
あります。レミさんが出てたTVコマーシャルに父が携わっててて、微笑ま
しい話を聞いたりしてた。ご子息の和田唱さんも同じ学校に通っていたよう
で(少し後輩)、卒業した後に「在校生に、すごい人たちがいる」という
噂を聞いてたらトライセラトップス(バンド)がメジャーデビューして
驚いたり、和田唱さんも寄稿した文化学院の入学案内でご一緒した事が。
そして初めて装幀画と題字の仕事をした時(田辺聖子・著「夢の櫂こぎ
雑誌の連載を単行本にした本だったのですが、その雑誌連載時の題字と挿絵
も和田さんによるものでした。誰か(誰だったのか、和田さんだったのか、
別の人だったのかは不明ですが)に決まっていたのを、私の個展を見た編集
者が抜擢してくださった。連載当時は和田誠!(さん)が手がけていたもの
だったのか!なんて名誉な!と、感動したのを覚えています。
*
追記
1/11、HBギャラリーでの追悼展へ。
え、撮影オーケー?と、そわそわするも、えいや、と、
ピンときたフレッド・アステアの作品だけ、ぱしゃり。
亡くなった後の追悼番組(サワコの朝など)をみていると、
例えばスポニチの記事から引用すると→ イラストレーターと
いう職業を定着させ、先駆者として一線で活躍を続けた。と。
今わたしも何となく、イラストレーター・同業者の人たちの
こと、ちゃんと考えて?と戦ってる感があるんだけれども、
そのもっと前、礎(いしずえ)を作ってくださったのだ、と。
ありがとう、和田さん。洗練された線、絵で伝えるという事
(進んでテレビなど出なかったとか)、など感じて帰宅。
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