とと、花束、一連の制作で混とん気味の仕事場に来客予定。
急ぎの片付け中に、個展をしたことがあるバナナムーン=
成瀬政博さんの美術館なのですが:政博さんの奥様で、彼女
自身もアーティスト・成瀬憲子さんの手づくり本が出てきま
した。ぱらぱらとめくる。手書きの「ペラ本」。星が沢山
詰まった、メイド・イン・チャイナのゴムボールつき。
憲子さんのアトリエ?資料室?カオスで面白かったなあ〜、
憲子さんのアトリエは屋根裏部屋。沢山のスケッチブックや
書きつけられた言葉の断片が棚に貼ってあったり、写真や、
蚤の市で手に入れたような玩具なども置かれていて、兎に角
すごかった。ここは見ちゃダメ!というの無しで、頭の中を
覗いているような面白さでした。…ご自宅の一室なので、
一般公開はされていないのですが。絵描きたるもの、或いは
小説家なんかもそうかもしれない、作品を作り続けるのは、
溢れ出るから、だったり、そうせずにおられないから、
というタイプの人もいるのだとおもう。自分で言ったこと、
描いたことを時が経って紗がかかったように少し忘れて
しまっても、モノとしてそこにある、というのは、まさに
制作した「当時の」頭の頭の中をのぞいているのに近いの
ではないかしら。自分自身でも、昔の作品をみて、はっと
したり偶には赤面したりする事もある。自分が作った作品に
対して言い訳せず、そのときはそうだ、と直感を信じていた
というスタンスのほうが隠したりするよりも格好よいように
思う。間違っていても。見せたい部分の自分だけじゃなく、
見せたくない部分の自分が露呈してしまっているような作品
も、もしかしたら隠れている・入場した人が何を見つけるか
何が出てくるかわからないアトリエに、受け入れた人だけ
とはいえ、「どうぞご自由にご覧になって」と放流して・
見せてくれた憲子さんはものすごく、私のなかで格好が
良い人なのです。並ぶもののセンスは、もちろんの事。
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