キンジソウとモズクとキュウリを和えたの、平らげたあとが日の丸みたい。録画しておいた1960sの東京オリンピックのときのデザインチームのドキュメンタリー番組を観た後だったから、そう見えたのかな。
番組に出てきた、永井一正さんが手がけた、サルの出てくるチラシを、二人展の大阪会場のチラシ置き場で見つけて、オランダの作家友達にお土産(の、ひとつ)として差し上げました。
当時のデザイナーが西欧のデザイナーに、日本のデザインをどう思うか?と尋ねると、私達の真似をしたって仕方がないのだ、というような話をされ、伝統的な家紋などを見直すきっかけになったのだとか。
ピクトグラム(トイレのマークなど)の創世記、シャワーを見たこともなかった「図案屋」(デザイナーは当時そう呼ばれていた)が、どうそれをユニバーサルに:どんな 国の人にも分かるマークを考案したか。そしてその著作権を、放棄したことも。
それこそ、同業(デザインやTVCMを生業としていた)父の同世代人の話、先達、センパイ、パイオニア。あちこち、あれこれ勉強になりました。
それこそ、同業(デザインやTVCMを生業としていた)父の同世代人の話、先達、センパイ、パイオニア。あちこち、あれこれ勉強になりました。
私は学校では英米文学を学んでいたりするのだけれど、わりと「西欧かぶれ」の人があまり得意ではない。NYやパリに行って活躍している人がダメ、とかいうのでなくて、私にとっては「どこか」にいったら、出来る、なんてことはきっとなくて、「ここ」で出来なかったら、「どこか」に行ったってきっとダメなのだろう、と思っていたフシがある。
それを察知していたらしい大阪の友は、「ああ、やっと動いたね」というような事を言っていた。初めて欧州にいってみて、それ(日本で「だけ!」やるのだ、みたいな保守性?)がガラリとかわって、西欧文化・ばんざい★となったわけではないけれど、ああ、へえ、なるほど!と思った事は、多々ある。
日本と違う部分よりも、ああ、なんだ、同じ(感覚)なんだ!と感じることのほうが多かった気がする。それは、お会いした人の多くが絵や音楽といったユニバーサルに伝わる・伝える仕事をしている人たちだった、ということもあるだろう。
日本と違う部分よりも、ああ、なんだ、同じ(感覚)なんだ!と感じることのほうが多かった気がする。それは、お会いした人の多くが絵や音楽といったユニバーサルに伝わる・伝える仕事をしている人たちだった、ということもあるだろう。
絵描き、広告(映像製作)業、ピアニスト、デザイナー、画廊主、写真家、などなど。絵は、そう、「PAPIER - 紙」展に誘ってくれた・会場のパトリックさんも言っていたけれど、言葉がなくても通じる。よくない・すきじゃない作品は、自分の感覚で判断できてしまうし、いい!とおもう作品は、何も説明しなくても、いいと分かる。
私の作品をいいな!とおもって、呼んでくれたのだって、そういうユニバーサルに伝わる・絵の力だったのだろう、と思う。まだ色々思うことはあるけれど、雑記。
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